読書

南方録14

○紹鴎ワビ茶ノ湯ノ心ハ、新古今集ノ中、定家朝臣ノ哥ニ、 見ワタセハ花モ紅葉モナカリケリ 浦ノトマヤノ秋ノ夕クレ コノ哥ノ心ニテこそあれと被申しと也花紅葉ハ、即書院臺子の結構にたとへたり、 其花もみぢをつく/゛\とながめ來りて見れば、無一物ノ境界…

南方録14

野点の心得について。 ○野ガケハ就中、其土地ノイサギヨキ所ニテスベシ、 大方、松陰・河辺・芝生ナドシカルベシ、 まずは風光明媚な所を選べ、という話。でも必ずしも「風光明媚」とは言ってないわけか。「いさぎよき所」という文の解釈次第だが、「いさぎ…

南方録13

○メンツノコボシ、トヂ目ヲ前ニセヨ、引切ノ蓋置モ目ヲ前ニセヨト、宗易ハノ玉フ、又道安ハ、トヂ目モ蓋置ノ目モ客付ニセヨトナリ、イカヤウカ決定スベキカト問候 ヘバ、 易云、惣而道具ダヽミニテモ棚ニテモ、道具ヲカザリツクニモ、炭ヲツギ茶ヲ立ルニモ、…

南方録12

小座敷の話。 ○小座敷ノ料理ハ、汁一ツ、サイ二カ・三ツカ、酒モカロクニスベシ、ワビ座敷ノ料理ダテ不相應ナリ、勿論取合ノコク・ウスキコトハ茶湯同前ノ心得也、 ○小座敷ノ花入ハ竹ノ筒、籠・フクベナトヨシ、カネノ物ハ、凡四疊半ニヨシ、小座敷ニモ自然…

南方録11

○掛物ほど第一の道具ハなし、客・亭主共ニ茶の湯三昧の一心得道の物也、墨跡を第一とす、 超有名な一節である。…もしかすると現代の茶の湯をこんな風にした一節である。天正の茶の湯は、必ずしも墨跡を掛けるとは決まっていなかった。 墨跡は愛好されたが、…

南方録10

○名物のかけ物所持の輩ハ、床の心得あり、 横物にて上下つまりたらば床の天井を下げ、竪物にてあまるほどならば天井をあげてよし、 別のかけ物の時、あしき事少もいとふべからず、 秘蔵名物にさへ恰好よけれバよき也、 繪にハ右繪・左繪あり、座敷のむきによ…

南方録9

○小座敷の道具ハ、よろづ事たらぬがよし、少の損シも嫌ふ人あり、一向不心得の事也、 今やきなどのわれひヾきたるは用ひがたし、唐の茶入などやうのしかるべき道具ハ、うるしつぎしても一段用ひ來り候也、 四畳半以下の侘び茶の道具は、なんか足りない感じで…

南方録8

○曉ノ火アイトテ大事ニス、 コレ三炭ノ大秘事ナリ、 「覚書」に秘事書いちゃうのはいかがなものか。 …「覚書」書いた段階での宗啓の伝授状況はどうだったんだろう? 秘奥まで進んだ後だったんだろうか? 易ノ云、曉ノ湯相ナレバトテ、宵ヨリ湯ヲワカス人アリ…

南方録7

○或人、炉ト風爐、夏・冬茶湯ノ心持、極意ヲ承タキト宗易ニ問ワレシニ、 易コタヘニ、夏ハイカニモ涼シキヨウニ、冬ハイカニモアタヽカナルヤウニ、炭ハ湯ノワクヤウニ、茶ハ服ノヨキヤウニ、コレニテ秘事ハスミ候申サレシニ、 問人不興シテ、ソレハ誰モ合点…

南方録6

○小座敷の花ハかならず一色を一枝か二枝かろくいけたるがよし、 勿論花によりてふわ/\といけたるもよけれど、本意は景氣をのミ好む心いや也、 四疊半にも成てハ、花により二色もゆるすべしとそ、 茶の湯の花は一色、というのは当時でも当然の感覚だったと…

南方録5

○露地ノ出入ハ、客も亭主もゲタヲハクコト、紹鴎ノ定メ也 草木ノ露フカキ所往來スルユヘ、如是、互ニクツノ音、功名不功物ヲキヽシルト云ヽ、カシガマシクナキヤウニ、又サシアシスルヤウニモナクテ、ヲダヤカニ無心ナルガ巧者トシルベシ、得心ノ人ナラデ批…

南方録4

○露地ニ水うつ事、大凡に心得べからず、茶の湯の肝要、たヾこの三炭・三露にあり、 能ゝ巧者ならでハ、會ごとに思ふやうに成がたき也、 大概をいはヾ、客露地入の前一度、中立の前一度、會すミて客たゝるゝ時分一度、都合三度也、 昼、夜、三度の水、すべて…

南方録3

第3センテンスは南坊宗啓までの茶人の系譜である。 ざっくり省略して最後の所。 (略) 愚僧モ二代ノ菴主、南ノ坊ト申テ、茶修業ノミノ隱者、大笑ゝゝ、 南方録の「覚書」は、南坊宗啓が茶の湯に関し利休から学んだことを書き記し、 最終的に利休に内容確認し…

南方録2

第2センテンス。 ○宗易へ茶に參れば、必手水鉢の水を自身手桶にてはこび入らるゝほどに、子細を問候へば、易のいはく、露地にて亭主の初の所作に水を運び、脚も初の所作に手水をつかふ、これ露地・草庵の大本也、 手水鉢の心得え。利休の茶では亭主が手桶を…

南方録

何回か扱ったことのある南方録。偽書である、とか、そういったいろいろを忘れて、茶の湯の思想書として肯定的に読み直してみる。当然、覚書から。 ○宗易ある時、集雲庵にて茶湯物語ありしに、茶湯は臺子を根本とすることなれども、心の至る所は、草の小座敷…

南方録と立花実山11

「南方録」は実山の編集あるいは著作ではないかといわれながらも、それを直接的に裏づける資料は未だ見つかっていない。 しかし実山の死より四、五十年後の福岡の茶人許斐積翠が著した「南派茶伝集」の中に次のような史料を見つけることができた。実(山)公在…

南方録と立花実山10

「ふすべ茶湯」とは自然の風物を背景にして催す茶会であり、 土を掘って石を組んで炉を造り、また樹の枝に釜をつるしたり松葉や柴をくすべて湯を沸かすなど、季節によって場所によって工夫を凝らすところに妙味があるという最も野趣豊かな野点のことである。…

南方録と立花実山9

実山は主君光之の側勤めであったため、参勤にも毎回供奉しており、その回数は「梵字艸」にも記しているとおり合計三十八回を数えている。 またしばしば特別に暇をもらったり、参勤の前後に許可を得て別行動をとっている。 そのような機会を利用して書画・茶…

南方録と立花実山8

実山所持の道具に関して。 実山は宝永五(一七〇八)年六月三日綱政の命によって中老の野村太郎兵衛祐春に預けられ、鯰田に幽閉されている。 「長野日記」によれば、このとき実山は茶道具などの家財を除いて武道具のみを藩に召し上げられている。 実山が書き留…

南方録と立花実山7

南方録の会記には「ス」とだけ書いた行がある。これをどう解釈するかは長年の課題だった。http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20091015 福岡の南方流の中心となっている博多円覚寺の前住持で、元南方会会長を務められた龍淵環洲和尚にお会いしたことがある。…

南方録と立花実山6

実山は六千八百六十石を領する藩の重臣野村太郎兵衛祐春に預けられ、鯰田に幽閉されているが、謫居の具体的な場所については未だ特定されていない。 なるほど。…なるほど? 「梵字艸」にみる謫居の場所謫居の家ハ野村祐春の臣村橋なにがしが亭なり。 (略) 山…

南方録と立花実山5

実山にとって「梵字艸」は、自らの身の潔白を証明するためのものでもあった。 ということで実山幽閉後の獄中記「梵字艸」について。 実山の謫居にあてがわれたのは、野村太郎兵衛祐春の家臣・村橋弥兵衛の家の離れであった。 (略) 六月十八日になると「家中…

南方録と立花実山4

「筑紫秘談」の伝える話。 光之の寵臣に立花五郎左衛門重根(実山)という者がいた。文才はあったが、「邪知姦曲」であった。綱之が英雄顕君であったので、実山は自分の思いあがりによって不正を働かんがため、光之にしばしば讒言をしていた。 で、綱之を廃嫡…

南方録と立花実山3

八歳のとき初めて藩に出仕して以来、三代藩主光之(一六二八〜一七〇七)の側近として重用され、特に光之が元禄元年六十歳で藩主の座を綱政(一六五九〜一七一一)に譲って後八十歳で死去するまでの二十年間は、光之の隠居付き頭取として仕えている。 実山は黒田…

南方録と立花実山2

南方録偽書説の経緯について。 貞享三(一六八六)年の秋、主君である黒田三代藩主光之が参勤交代で江戸に上るのにお供をした折、瀬戸内海の蒲刈という所に停泊していたところ、「京都何某方」から船中に宛て書状が届いた。 「利休秘伝の茶湯の書五巻を所持す…

南方録と立花実山

松岡博和/海鳥社/1998年。この本はとても珍しい本である。南方録についての本は、たいてい南方録の内容を、禅的な視点あるいは茶史的な視点で分析したり検証したりするものである。だがこの本は、立花実山がどういう一族の出身で、そこから南方録がどう広ま…

日本刀は語る

佐藤寒山/青雲書院/1977年。日本刀の話だが、江戸時代の偽物事情について面白かったので。 鎌倉中期に山城国粟田口派に藤四郎吉光という名工がいる。 吉光は短刀の作を最も得意とし、太刀の作はきわめてまれである。 江戸時代には吉光の作を名刀第一におき、…

日本茶の湯文化史の新研究22

宗及の時代の前後の茶人はこの「美しき」ものの同義語として、むしろ「きれい」の語を用いている方が多い。 しかしながら宗及は「きれい」を全く使用していない。 ということで「きれい」について。 元亀三年(一五七二)奥書の「烏鼠集四巻書」(「茶道文化研…

日本茶の湯文化史の新研究21

「うつくしき」について。 それでは美に対する称賛の語としての最も基本的な「うつくしき」は茶の湯の世界において具体的にどのような意味を持っていたのであろうか。 まず前述の「鶴嘴の花瓶」についての史料の中で宗及は、この花瓶を「かね一段うつくしく…

日本茶の湯文化史の新研究20

茶の湯における「軽重」が、物質的な重量をいうのではないことは言を待たない。 が、それではその概念がどのようなものであったかというと、明瞭にされていないのが実状である。 という「重き」と「軽き」について。 二、三の例を引いて考察してみると、特に…