数寄屋図解事典17

ちょうりゅうてい(長流亭)

大聖寺江沼神社境内にある数寄屋。
越前大聖寺の藩主が城壁の築城を幕府に願っていたが許されなかったが、時の奉行合謀って秘かにこれを築き、後城壁でないとして遠州風の数寄屋を造営したのが本亭である。
(略)

えーー?怪しい…。

写真で見ると堀代わりの河畔に立派な石組をして、その上に数寄屋が乗っかっているが、こんな短い石垣ではなんの役にも立ちそうもない。
一国一城令があって、加賀前田家の支藩大聖寺藩が城を強化する意味もないし…。

つばくろのおちゃや(燕の御茶屋)

東京浜離宮内の池泉に面してあった御茶屋。四畳半の茶席の三方に二十四畳半の広間をめぐ、しら池泉に面して入側をつけた平面で、外観は方形造柿葺の平家であったが、昭和20年(1945)の戦災で焼失した。

誤字ママ。

一昨年復元された茶室である。

http://www.metro.tokyo.jp/INET/EVENT/2015/08/21p8r100.htm

内四畳半と外二十四畳半の間に縁がある。この縁のサイズ調整のため、内外の畳サイズは違うはずだ。

外から内のお点前を拝見できる構造だと思うのだが、点前さんの出入りがすごくまぬけになりそうである。

てんねんずがくてい(天然図画亭)

近江堅田の琵琶湖畔に面するところにある居初家の書院式数寄屋。
作者は北村幽安とその茶友藤村庸軒と伝えられ、その露地も蹲踞の配置、枯山水の石組、借景の手法、霰敷の苑踞など書院式露地として代表的なものとされる。

琵琶湖の水運を牛耳っていた族の財力が偲ばれる美しい庭園。そもそも北村幽安が堅田出身で居初家の親戚なのね。
8畳の部屋に逆勝手1畳(台目+板)の茶点席が接続している形式で、茶道口が無さそう。
つまり亭主は客側から点前畳に入らなきゃならない。

あまり畏まった席でないのかも。