2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

カップヌードル抹茶

コンビニでカップヌードル抹茶味を発見。茶人として、これは試さねば!とか思うも、「抹茶仕立てのシーフード味」と書かれている事を発見。 俺、シーフード苦手なんだよな。というわけで敬遠。だって、普通のシーフードヌードルをおいしく食べれないのに、抹…

2月の展覧会

正月展示が終って春GW展示に移る端境期。 でも今年は例年より多く茶道具系展示が残っている印象。 東京近郊 期間 タイトル 備考 三井記念美術館 2/18-4/2 三井家のおひなさま 城山荘の想い出 出光美術館 2/11-3/26 古唐津 畠山記念館 -3/12 新年の宴 トリ年…

ゆがみ中柱と袖壁

数寄屋に関して勉強してきて、一つ疑問ができた。我々が台目の茶席で慣れ親しんでいる、中柱と袖壁と、あと壁の透かしの発明は、いつ、誰によってなされたのだろう?利休は1畳半座敷を作ったと伝えられているが、壁は上から下まで塗ってあり、ゆがんだ中柱で…

数寄屋図解事典31

りゅうきゅうおもて(琉球表)畳表の一種。もと琉球に産した琉球藺という草で織った畳表で、他の備後表に比し品質は劣っているが、比較的耐靭力がある。 (略) 琉球表自体はどうでもいいんだ。この次に「琉球畳」という項目がないことが重要。あれはやっぱ戦後…

数寄屋図解事典30

ゆうげつてい(幽月亭)小田原市板橋、掃雲台にある益田鈍翁好みの茶室。 (略) 現在、掃雲台は分譲住宅になっていてほとんど遺構はない。 幽月亭がどうなったかも判らない。というかどの時期に掃雲台がなくなっていったかもよくわからん。 たぶん孫の益田義信…

数寄屋図解事典29

やまとうち(大和打ち)板を交互に表と裏から横貫または胴縁に打付ける工法をいう。この形式でつくった戸を「大和打の戸」という。 これか。https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%89%93%E3%81%A1-649407良く見るけどそういう名とは知らなんだ。 で…

数寄屋図解事典28

もんえんあん(聞燕庵)京都岡崎中井邸内にある茶室。 文化5年(1805)4月世継寂窓によって造営された居然亭に付属する茶室で、明治の末年中井家の有に帰した。 (略) 世継寂窓は江戸後期天保年間に死んだ豪商画家。 中井は中井八郎兵衛で、こちらは明治の実業家…

曜変天目

http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/23/nandemo-kantei-dan-youhen-02_n_14328072.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001ふっうーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。そうですか…

数寄屋図解事典27

むしぶろ(蒸風呂)四方を密閉して湯気で身体を蒸し温める風呂をいう。 (略) 松江菅田庵には御風呂屋といわれる待合がある。 菅田庵は松平不昧が家老有沢弌善のために設計した茶室で、これに付属する待合は当時鷹狩などの帰途この席に立寄り、まず御風呂屋の土…

数寄屋図解事典26

みたにりゅう(三谷流)表千家6世原叟宗左の門人である三谷宗鎮を開祖とする茶道の流派。 (略) 6世は良叔、不休斎と号し、明治32年(1899)2月10日に歿した。 「日本の茶家」にも載っていない流派。昭和の事典に載る記事が、明治中盤の家元の死亡記事なのは、流…

数寄屋図解事典25

ますどこのせき(升床の席)大徳寺塔頭聚光院内にある数寄屋。 了々斎の好みの席と伝え、別名半方庵ともいわれている。 俗説にはこの席で千利休が切腹したとも伝えているが、 (略) 時系列が合わないが、利休が大坂屋敷でなく、京都で切腹した伝説が昔からある…

数寄屋図解事典24

ほうめいてい(鳳鳴亭)大阪市住吉区加賀町 武田邸内にある数寄屋。 この地は愉園と呼び、鳳鳴亭は延宝年中(1675)宙宝和尚の好みの席として造営せられたとも伝えられ、八畳の広間と三畳台目の小間がある。(略) この地域を開拓した豪商、加賀屋甚兵衛の新田会所…

数寄屋図解事典23

ほうあん(蜂庵)京都太秦広隆寺境内にある茶室。 西本願寺の大谷心斎(尊由)師が聖徳太子二千百年を記念して大正13年(1924)に寄付されたもので、この土地を蜂ヶ丘と呼ばれているいるところから蜂庵と名づけられたものである。 広隆寺は聖徳太子信仰の寺。 この…

数寄屋図解事典22

ふしみいなりおちゃや(伏見稲荷御茶屋)京都伏見稲荷神社境内にある書院式数寄屋。後水尾天皇が仙洞御所の庭園内に造立せられてあったものを当時稲荷神社の祠官をしていた羽倉延次に御下賜になり、それを拝領して稲荷神社の楼門の隣に移築し、今日まで保存さ…

数寄屋図解事典21

はんしょうあん(半床庵)東京都文京区駒込林町久米邸内にある数寄屋。 もと名古屋にあったものを先代良作氏が、現在の所に移築し、今回の戦災にも免れた。 席は二畳台目に向板を配し、床の間を下座として炉を逆勝手の向切に構え、客は点前座を中央にして相対…

数寄屋図解事典20

にんゆう(任有)京都三条道場の遍照山円光寺内にある茶室。 裏千家の玄々斎の好みと伝えるもので、床柱の側面に「依命好利休十一世玄々斎宗室花押」と銘がある。 (略) 三条大橋東入ルの圓光寺にある茶室。 茶室に作者銘があるとは珍しい。いかがなものか、と…

数寄屋図解事典19

なかのぼうのちゃしつ(中ノ坊の茶室)奈良当麻寺境内にある数寄屋。席は四畳半席、五畳席が、書院に付随して庭に面して造営されており、別に、離れた別棟といて二畳中板の席がある。 寺伝では慶安年中片桐石州が庭園の大改修とともに貴人用の茶席をも造営され…

数寄屋図解事典18

てんゆうあん(天祐庵)東京浅草寺境内伝法院にある茶室。 この茶室はもと名古屋の牧野作兵衛が天明の頃(1774-1788)造営された表千家不審庵写しの席であったが、大正5年(1916)高橋箒庵の勧めで東京向島の徳川邸内に移されて嬉森庵と呼ばれていた。 その後津村…

数寄屋図解事典17

ちょうりゅうてい(長流亭)大聖寺江沼神社境内にある数寄屋。 越前大聖寺の藩主が城壁の築城を幕府に願っていたが許されなかったが、時の奉行合謀って秘かにこれを築き、後城壁でないとして遠州風の数寄屋を造営したのが本亭である。 (略) えーー?怪しい…。…

数寄屋図解事典16

たけむらあん(篁庵)京都市紫野大徳寺塔頭三玄院内にある茶席で、もと本願寺にあったのを明治になって現代のところに移築したもので、藪内剣仲の好みになり、燕庵の席を写した形式をの席で、扁額の篁の字は法如、庵の字は文如上人の字であるといわれ、席は三…

数寄屋図解事典15

そですりのまつ(袖摺の松)露地の歩道の苑路の際に特に他の潅木類に対して対照の破を意味するために松の大木を植えてある場合にこれを袖摺の松といい、その起源は利休の茶室待庵に秀吉が露地入りの際鎧の袖を摺ったことからかく名づけられている。 待庵に秀吉…

数寄屋図解事典14

そあん(素庵)鎌倉山ノ内服部梅素邸にある茶室。 この席は元伊勢に造営されてあったものを移築したもので、(略) 席は三畳中板の席で、床の間は蹴込板床とし、(略) 床前客座の窓は円窓で中央に柱を立てた割窓の形式とし、(略) (略) 鎌倉の三畳中板で検索し、明…

数寄屋図解事典13

しりんてい(紫琳亭)大阪天王寺逢坂下一心寺内にあった数寄屋。 楽山洞ともいわれ、八畳敷の広間で隣りに三畳台目席がある。 紫琳亭は床の間及び付書院を構え、西北2面に板塀を付け、次の間境にはの欄間を入れてある。 草庵の席とともに大阪冬の陣中に徳川家…

七草粥

一月七日は春の七草の日。春の七草はハーブみたいなもんなんで、だいたい毎年ピザにしたててきたが、今年は趣向を変えてみた。七草の糠漬けである。 うまい!特に芹が。芹の根が。漬ける前の掃除が大変だけどな。芹の糠漬けはまたやってみよう。

数寄屋図解事典12

しょうふうあん(松風庵)鳥取県米子市内町後藤家邸内にある茶室。 後藤家は金工で有名な後藤祐乗の系統で、この邸内には江戸時代中期頃の創建になる書院と文化6年(1806)6代市右衛門直満の好みになる茶席松風庵がある。 入口は貴人口とし、席は三畳敷の台目構…

数寄屋図解事典11

じゅあん(樹庵)日本橋三越新館6階にある茶室。 (略) 樹庵の額は川合玉堂筆。 露地には蹲踞と腰掛待合がある。 今はラルフローレンとかになっている場所。 デパートの茶室に、腰掛待合までつけたのに本席が四畳中板というのは少々狭すぎたのではなかろうか? …

数寄屋図解事典10

したつゆ(下露) 茶会の際露地の掃除を終って客来集参までに内外露地一帯残らず潤いをゆきとどくように水を打つのを下露といわれ(略) (略) 下露は露地桶で勺を用いることを古来の習としているが、場合により酷暑などでは下露に限って今日では如露や水道のホー…

新年の抱負

気を取り直して新年の抱負を再度。 本ブログをはじめてそろそろ10年。同じ年にはじめたお茶のお稽古も10年選手。それなりに上達して、去年は台子の前で茶を点てたりしましたが、それは所詮お点前の話。 お点前だけできてもしかたがない。 もう少し実践&実戦…

新年の抱負

…を書こうとしたらネット接続が悪く、スマホから更新。 幸先悪いぜ。ってことで、あけましておめでとうございます。…三が日は更新お休みします。