2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

2月の展覧会

2月にしては思ったよりあるなぁ、という感じ。 根津は2/26からの清麿に行こうっと。茶道具も置いてるだろ、きっと。 東京近郊 期間 タイトル 備考 畠山記念館 -3/16 利休とその系譜 根津美術館 -2/16 和歌を愛でる 山の端 五島美術館 -2/16 茶道具取合せ展 …

利休道歌に学ぶ14 初中後

茶入より茶掬ふには心得て初中後すくへそれが秘事也なかなか難しいことを言っておられますが、茶入から茶碗にお茶を三杓入れるとき、すくい始めに最初からたくさん汲まないようにということでしょう。 (略) 茶入を持つ。 横に倒す。 中の茶も横に広がる。 茶…

利休道歌に学ぶ13 大小中中大

喚鐘は大と小とに中々に大と五つの数をうつなりこれは夜咄の茶事のときの喚鐘の打ち方です。 夜咄の茶事のとき、喚鐘というのはカンカンカンという金属音です。 ですから、喚鐘は陽の音です。 夜は陰ですから、陽のものを打てということです。 しかし、この …

利休道歌に学ぶ12 掛物釘

掛物の釘打つならば大輪より九分下げて打て釘も九分なり大輪というのは天井と床の壁面の接点。即ち廻り縁のことです。 俗にいう廻り縁から九分、約三センチ下げて、掛物釘を打ちなさいという教えです。 (略) 下げるに邪魔にならず、目に付きにくい位置に釘を…

利休道歌に学ぶ11 小板と茶巾

小板にて濃茶をたてば茶巾をば小板の端におくものぞかし昔は風炉釜を乗せる小板の上、右前角へ茶巾を置いたようです。 (略) 利休道歌にさからうようですが、いまは茶巾を小板の上におくことはしません。 しかし過去にはそのようにしておりました。 いま現在…

利休道歌に学ぶ10 縦と横

水指二首。 水指に手桶出さば手は横に前の蓋とりさきに重ねよ 釣瓶こそ手は堅におけ蓋とらば釜に近づく方と知るべし 特に異論は無い。異論は無いのだが…。 なんで手桶は横で釣瓶は縦なんだろう? おんなじ構造なのに。そこがなんでか知りたいところ。

利休道歌に学ぶ9 花

後ろの方に花関連はそれなりにありますが、ここにだけぽこっと一首。 余所などへ花をおくらば其花は開きすぎしはやらぬものなりこれはおっしゃる通りです。いただいたほうも、開き切った花では役に立ちません。 (略) 内容自体は特にどうこういう事はなく、余…

利休道歌に学ぶ8 置き合わせ

置き合わせ系四首。 置き合せ心をつけて見るぞかし袋は縫目畳目に置け置き合わせをやるために難しいのは位置の決定ということです。 (略) この場合の縫い目とはいわゆる仕覆のかがりのことだと思います。 結局、袋、すなわち仕覆は縫い目を畳の目にちゃんと…

利休道歌に学ぶ7 釜

冬の釜囲炉裡縁より六七分高くすへるぞ習ひなりける 絵掛物ひだり右向きむかふむき使ふも床の勝手にぞよる 姥口は囲炉裡縁より六七分低くすへるぞ習ひなりける 品々の釜によりての名は多し釜の総名鑵子とぞいふ 釜の事三首の間に、掛け物の続きが混じってま…

利休道歌に学ぶ6 掛け物

掛け物の、なぜか啄木限定で二首。 墨跡を掛ける時にはたくぼくを末座の方へおおかたは引け (略) 掛物を掛ける場合は、啄木の巻緒を下座へ引きなさいと、そういうことを教えています。 絵の物を掛ける時にはたくぼくを印ある方へ引きおくもよし (略) 書いた…

利休道歌に学ぶ6 炭

炭関係9首。ややこしいのでこっちでインデックスを付けるよ。A1) 炭置くはたとへ習いひにそむくとも湯のよくたぎる炭は炭なり B1) 客になり炭つぐならばそのたびに薫物などはくべぬことなり C) 炭つがば五徳はさむな十文字縁をきらすな釣合をみよ D1) 焚き残…

利休道歌に学ぶ5 茶巾

茶巾関連2種。 筒茶碗深き底よりふき上がり重ねて内へ手をやらぬもの なぜか各種茶巾、茶巾台の解説で長文になっていますが、本題の内容はふつーなので省略。 乾きたる茶巾使はば湯はすこしこぼし残してあしらふぞよきこれは水屋の教えになります。 水屋がそ…

利休道歌に学ぶ4 茶器の扱い

続く8首は茶器の扱い。 よそにては茶を汲みて後茶杓にて茶碗のふちを心してうて 中継は胴を横手にかきて取れ茶杓は直におくものぞかし 棗には蓋半月に手をかけて茶杓を丸く置くこそとしれ 薄茶入蒔絵彫もの文字あらば順逆覚え扱ふとしれ 肩衝は中次とまた同…

利休道歌に学ぶ3 薄茶と濃茶

薄茶と濃茶の点て方について。 点前こそ薄茶にあれと聞くものを麁相になせし人はあやまり(略) どんな難しい濃茶の点前でお茶をいただいても、最後は薄茶点前になります。 これでお別れをするわけです。 薄茶というものは最後の締めくくりです。 ですから薄茶…

利休道歌に学ぶ2 強弱

強弱系三首。 点前には弱みをすててただ強くされど風俗いやしきを去れこの道歌は点前の心を教えていると思います。 実際に線の弱い姿ばかり点前でみせられると、招かれているほうも張りがありません。 こんどは武骨になって、角が出てしまい、お点前がぞんざ…

利休道歌に学ぶ

阿部宗正/淡交社/2000年。たしかburieさんから貰った利休百首の本。 著者は仙台出身の業躰…という事は鈴木宗保枠かなんか? ちょっとまじめに利休百首を考えてみたいと思います。 追句になっているものが多いので、追句単位でネ。そんでもって、利休百首の内…

ママウォッシュ

茶巾を洗うのが苦手である。つーか、ゆびさきでつまみ洗いしていると、汚れは取れずに破っちゃう事が多い。 だからといって力を入れないと、汚れが取れない。 例えば、こんな風に茶巾が汚れていたとしよう。…やりすぎだけど。 そこで秘密兵器。アサヒ玩具の…

茶商の読んだ茶経評釋5 製茶法

ここで注意をしたいのは 「其日、雨天では絶対採らない。例え雨がなくても曇天には採らない。摘採は晴天だけである」 と断言している所であります。 これは現代の製茶法でも、雨茶は摘まないという不文律となって受け継がれております。 そう、こういう過去…

茶商の読んだ茶経評釋4 茶と人参との比較

ううむ、あまりにあんまりなツマミ方をしすぎたので、ちょっとはまじめな所を。 「第六節 人参と茶との比較 茶の累をなすや猶は人参の如し (略) この章はお茶と人参の薬効の比較でなく、(当時の人参がそうであったように)低級品を混ぜちゃいけないよ、という…

茶商の読んだ茶経評釋3 茶の効用と医学

「第五節 茶の効用と醫学 茶の用たる味至って寒なり。 飲を為すには(略) という茶経の文章に対しての著者のコメントから。 「暑いときにも熱いお茶 五臓六腑が活きかえる」 弊社のポスターの意味もそこにあります。 暑いときに熱いお茶を飲めば、、、汗一入…

茶商の読んだ茶経評釋2 お見合い

茶経の、茶樹の外見の特徴の部分の説明で: お見合いの席で、娘さんの淹れたお茶を美味しそうに男性が飲めば、この見合いは成功で、とんとんと結納になり、この結納品の中へコンブと同様にお茶も加えられ、結納金の台の上に乗せられます。 記名は「多喜茶」…

茶商の読んだ茶経評釋

時田鉦平/1992年。自費出版。戦前に諸岡存が出版した茶経評釋。それに対し、藤枝の茶商である著者が解説を加えたもの。茶経本編からの脱線部分が面白い。例えばチャノキの大きさを語る部分で: 藤枝市北部の大久保地区に住む平口猛志さんの茶畑には、高さ三…

茶人随想耕心庵

山崎圭雪/新読書社/1994年。表千家の先生のエッセイ集。こういうものはどうしても「面白くてたまらん」ものには成りがたいが、この本もそう。 だが「茶室造り奮戦記」は、ある意味一読の価値有り。 お茶とお花の先生が、老朽化した家を建て替える際に、 わず…

BBA

私は昭和40年代前半の生まれである。 んで親は戦前。すると爺婆の世代は明治の終りになる。 さて。家を出て、大学行って社会人になって…という風に生きてきた男にとって、めったに「肉親以外のばーちゃんとのつきあい」というのは生まれないものだ。 しかし…

正月らしさを求めて

正月が終わろうとしているのに、正月らしい話題がない本ブログ。正月展示も都合で見れんかったし。と、いう事で「喜ぶ」に通じる、昆布を茶筅で点ててみました。 案外点たないもんだし、濃くすると飲めたもんじゃないね…。 お薄、ならぬ、らうす。…言いたか…

水戸茶道史考9 儒教的な武人の茶

おわりに水戸の茶の特質特色について総括的な考察をしなければならない。 一言にして言えば水戸の茶には儒教的色彩が強かった。 たしかに中国古典から引用したがるし、やたら標語や戒めが多いのは儒教的ではある。 でも普通、お茶に儒教入ると煎茶になると思…

水戸茶道史考8 虚栄心を誡める茶説と茶對

何陋庵露地にある腰掛待合の「茶説」と「茶對」について触れることにする。 この二つとも烈公作に係り、公の茶道観を窺うに足る。 という訳で「茶説」と「茶對」の話。 茶説は公の隷書で、縦一尺三寸、横二尺七寸五分の桜板に刻してある。 曰く「人之於禮不…

水戸茶道史考7 山水双宜の楽寿楼

哀公の次が義公に次ぐ傑物とされる烈公斎昭である。 (中略) 公は弘道館記碑文によって水戸学上に重要な地位を占めているが、茶道においても偕楽園内に好文亭何陋庵をつくり茶説茶對を物せることによって水戸茶道史上に大きな地位を占めている。 ということで…

水戸茶道史考6 茶の達人 第六代文公

文公(一七五一〜一八〇五)は、水戸藩主中とくに茶の達人であったといわれる。 公は石州流の野村休盛に茶を學んで奥儀を極め、茶道頭には同門の宮田文碩を用いた。 (中略) 文公は寛政九年十一月朔日に世子の御傳大場弥衛門に茶の湯の心得を書き与えた。 世子…

水戸茶道史考5 尾張公も驚く光圀公の節倹

節倹を重んじた義公であるが、後楽園は頼房公が経営途中で没したので完成はしたものの、他は極力用を節したらしく、尾張公が小石川の水戸邸を見て、その質素なのに驚いたという話がある。 まぁ貴顕の言うレベルの「節倹」がどんなものかという気もしますが。…