2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

槐記22 趣向

享保十九年三月二十九日: 明四月朔日ニハ,私宅ニテ茶湯ヲ催シ候、コトニヨリテ二日續ケテ仕ルコトアルベシ、 是ニハ父子モアリ、朋友モアレバ、同人モアルベキガ、前日ノ茶湯ノコト、 即時ニ相客ニ知ルヽコトナリ、 前日ノ道具ヲ悉ク易テ出サバ、然ベカラ…

槐記21 拝領の茶入

享保十八年三月二十二日: 昔シ、先々ノ小堀仁右衛門ガ申スハ、先祖遠江守ハ、御家ヘハ別シテ親シク參リシ者ナリ、 上ヘ奉ラントシテ、蓋袋好ミ置キタル茶入アリトテ、高取ノ茶入ヲ献上ス、 之ニテ御茶アリシ時、此事、御上ニモ聞召テ、後西院様常修院殿ニモ…

槐記20 着替え

享保十六年四月二十四日: 總ジテ茶湯ニ、中立ヨリ衣服ヲ着易ルコト、始メニ華美ナルモノヲ着シ、 後ニシメヤカナル物ヲ着シ申スガ好キコトニ候ヤ、 但シ始メハシメヤカニ、後ニハハナヤカナルモノガ好ク候ヤト伺フ、 (中略) 總ジテハナヤカナル衣服、シメリ…

槐記19 菓子の茶

享保十五年三月二十二日: 仰ニ、是ハ常修院殿ノ直ニ御物語ニテ御聞ナサレシコトナリ、 其節飯後ノ茶ト云フ名目流行シタリト見ユ、 飯後ノ茶ト申スモ、菓子ノ茶ト云モ、易ルコトナシ、菓子ノ茶ノコトナリ、 飯ハ食ベテ參ルベシ、茶ヲ御振舞候ヘト申シ遣スカ…

露香の蔵帳

松屋銀座 第28回 銀座古書の市。 今回、驚愕の品が出ていた。 千草屋の蔵帳の原本、文政三年。50万円。 平瀬露香がどういう道具を持っていたのか、めっさ明らかになる逸品。史料的にすっごく欲しいけど、50万か〜。無理。ちょー無理。 千草屋の蔵帳って出版…

槐記18 利休の作意

享保十四年十一月二十日: 世間に、何事にもせよ、する程の事を利休々々と云へども、利休より後に出來たる事も多し、 庭に敷松葉したることは、織部より始れりと云、 (中略) 爐の角を缺きたることも、利休の時はなかりしことなり、 なんでもかんでも利休の作…

槐記の置き合わせ

昨日の記事、読み直すと判りにくかったので図解。 南方録の曲尺割。畳を五分割して中心を一定位置に(1/3ずらしとかあるのでやや曖昧だが)。 道具が小さくなってもそれなりにバランスは取れる。 次に畳の目で距離を計る方法。特に両端からの距離。簡単に決め…

槐記17 長板の置き合わせ

享保十四年四月七日: 長板ノ道具ノ飾ハ、常風爐ノ飾トハ各別ナリ、 是ハ大秘蔵ノ事故ニ、必々人ニ語ルベカラズ、 (中略) 總ジテノ飾ハ、座席ヨリノ寸尺ヲ極ムルコトナリ、 假令バ疊ノ目幾ツ目ノ處ニ水指、幾ツ目ノ處ニ、小板、何寸ノ處ニ何ト、極メテユクコ…

槐記16 こぼす

槐記は近衛さんの語った事の記録なので、同じ話が何回も出たりするし、時には正反対の事を言っていたりもする。そんな中から。享保十二年閏正月九日: 今世間ノ茶ニ、水ヲ茶碗ヘ入レサマニ疊ニコボシテ點ルヲ嬉シガルハ何事ゾヤ、 享保十三年十二月十一日: …

槐記15 中柱

享保十三年八月二十一日: 世間一統ニ、圍居トサヘ云ヘバ、必ズユガミ柱ヲ立ルコト如何ナル譯ニヤ、 定メテ田舎山居ノアルニ任セタル風流洒落ナラント存ズ、夫故ニ拙此度ノ圍居ニ、 ユガミ柱ヲ忌デ、直ナル柱ヲ立タリ、而シテ後ツクヅク詠メテ、初テ感ズ、 …

槐記14 歌

享保十三年三月二十二日: 昔ノ茶湯ニハ、墨跡バカリニテ、歌ノ物ヲ掛ケタルコトハ、利休ガ時分ニ、或茶人ガ利休ヲ招請シテ行レシガ、中潜リヲ開キタレバ、草芒〃トシテ飛石モ見ヘ難キ程ナリ、如何ナル態ニヤト推シテ、漸々草掻分テ入ラレシガ、鉢前ハ綺麗ニ…

茶事のお稽古

うちの先生は、いつも本気の人。 茶事のお稽古、というのはしない。でも、やっぱり先生なので、私達弟子を招いて茶事をする時は、「これはこうするのよ、それはそうはしないのよ」とお教え下さる。未熟な弟子達は、なんとか先生のお眼鏡に叶おうと頑張る。 …

槐記13 お茶のお稽古

享保十一年十二月二十三日: 今の人の茶を稽古するを見るに、茶湯手前にかヽりて、夫は如此すべし、夫は左に非ずと直して、大方なれば其通りにして置く氣に、師もなり、弟子もなりて、 一遍通りは誰も頭から點らる、やうにする故に、誰も一筋を吟味しおほせ…

槐記12 台天目

享保十一年十二月十五日: 今ノ臺天目ハ、臺天目ノ主意ヲ取違ヒテ居ルト見ヘタリ、 其方始メトシテ、貴人高位ノ人ニハ、臺天目ニテ茶ヲ申スヤウニ覺タルハ誤リナリ、 臺子ニ七飾ト云事アリテ、茶碗ヲ三ツ飾ル、茶筌 茶筌載セニ載セ、茶入 盆ニ載セ、 茶巾 茶…

蓋置と蓋

茶杓の掛け様と同じくらい、いや、もっと難しいもの。 蓋置に、釜の蓋をきちんと乗せること。 これ、慣れた釜の蓋でないと案外難しい。 実は先輩後輩のお点前をじっと観察してみたことがある。 点前座から見て手前過ぎる、丁度良い、奥過ぎる。この三段階で…

槐記11 茶杓の掛け様

享保十一年十二月: 二十六日夜 參候今宵ハ宿スベキ由ニテ、宵ヨリ樣〃ノ御話ノ内ニ、 得テハ茶杓ヲ茶入ニ掛テ落ルコトハ、兼テ掛テ見ヌ故ナリ、 夫ニハ必ズ掛ケヤウアリ、 茶杓ノ本ヲ畳ノ目ニテ能ク極メテ、先ハカクマデニ合點スベシ、 茶杓を茶入に掛けて…

槐記10 中じまい

享保十一年十月: 十月二日 參候先日ノ道乙ガ茶ノ話ヲ申上タルニ付キ、 今ノ人ノ茶湯ニ、濃茶ヲ點シテ客ヘ出シ置キ、 亭主ハ釜ノ蓋ヲシテ、柄杓ヲ直シ、跡ヘ退テ默シ、 二番目ノ邉リヘ茶ノ渡ル自分ニ、又進ンデ蓋ヲ取リ、 水ヲサシ、柄杓ヲ飾リテ相待ツコト…

ケッコーなお手前です。1

みよしふるまち/マッグガーデン/2011年。茶道モノの漫画。 茶道は少年誌ではどうにも漫画にならない。西森博之の様な「おもしろい」か「すごくおもしろい」しか描けない天才でも「お茶にごす。」みたいなビミョーな作品になってしまう。 読者層が茶道に興味…

宗旦は左利きか?

burieさんの質問への回答、長くなったのでエントリで。 槐記には、千家が左服紗にしていた理由は「宗旦ガ左ナル故」と書いてある。この「左ナル故」を「宗旦が左利きだったから」と解釈する事もできるが、私は「宗旦が左付けしていたから」と解している。 な…

槐記9 朝顔の茶

享保十一年六月: 六月二十六日 參候朝顔ヲ入ルゝ事、今ノ人アマリ茶會ニセヌコトソウナリ、昔ハ朝顔ノ茶トテ一方ニナリテアリト仰ラル、 昔は朝顔でお茶ができたが、今(1726年当時)はしない。 この文から判ること。まず、茶話指月集(1679年刊行)の影響は見…

槐記8 服紗

享保十一年正月二十八日より: 何藝ニテモ、習ハズニ見取リ聞取リニスルハ、形ガ似テモ、何トシテ、加様ニスルト云譯ガスマヌ故、 此處ニテハ合ヒ、彼處ニテハ違フコト多シ、 服紗ヲ腰ニ付ルコトモ、右ニ限リタル事ナレドモ、今様宗旦流ト云者ハ、必ス左ニス…

槐記7 畳

享保十一年正月: 十一日 參候常修院殿常ニ御物語ニ、疊ニ本末ト云コトアリ、多クハ人ノ知ラスモノナリ、 本末ヲ吟味シテ敷タル疊ハ少キモノナリ、氣ヲ付テ見ルベシト仰ラレシガ、 眞ニナキモノナリ、疊ノ縫出ノ方ヲ本トス、 目モ直ニシテ、拗レモナシ、縫先…

のし袋

年の初め。先生の所に御年賀持って行かねばならぬ。いつもの「御礼」よりはフォーマルなので、ちゃんとした蝶結びの熨斗袋に入れて行こうと思う。 とりあえずハンズへ。 …。まともでフォーマルな熨斗袋の選択肢が少ないこと少ないこと。文房具売場に売ってい…

槐記6 薄茶

享保十年五月十八日の会より: 夫ヨリ下ノ座敷 二階床掛物 唐繪ノ枇杷、表具今(金)織類、 御菓子 山形羊羹、織部ノ手付ノ鉢ニ入レ、左馬頭之ヲ捧グ 御薄茶 濃茶の後、薄茶を飲む際に、薄茶用の御菓子を出す、という習慣は最近のものかと思っていたのだが、こ…

槐記5 大服茶

享保十年乙巳正月七日 参候 今日大雪今日ノ風雨ニ、能ク参リタリトテ、 保君様御方御盃頂戴、イト難有ク覚ユ、而シテ御前ニ出、 今日ハ御高例ニテ、大服ノ御茶湯アリ、久米玄察、宗也ナド参ル、 雪モ一段ト降續キタルハ、最面白ケレドモ、路次ノ行粧、大キ過…

槐記4 時間

享保九年の記事より: 十二月十八日 進藤刑部大輔ヘ御成、御供右京道安 午刻御成、 (略) 二階掛物 養朴ノ山水七十三歳、 御香二座アリ、 御夜食 ウツミ豆腐 猪口 嫁菜、土筆、白魚、イリ酒 平 ハンペイ、芹、細柚、玉子ノフハフハ 鉢 數ノ子、花鰹 四ツ前還…

槐記3 刀掛け

享保九年十月十六日の記事より: 御手水、御脇指御懸ケ 刀掛三重、上ノ段ヘ御懸ケ、コノ次ニ(イ)「下段ニ掛レ バ中立迄ノ間ニ水ヲ打トキ邪魔ナレハナリ。」アリ 刀掛けについては、数寄屋に付随の装備というのが一番メジャーである。 また刀掛けは腰掛待合に…

上田宗箇流袋棚点前

これだけでご飯三杯いけそうなビデオ。「宗箇様御聞書」という古文書から復活させたお点前だというが、割とそれはどうでもいーや。ほぼほぼ推測通りの合理的なお点前の手順。ただ、仕舞の時に蓋置を水指前に戻すのだけ意味が判らない。案の定水次の邪魔にな…

松屋銀座 上田宗箇 武将茶人の世界展

松屋銀座の8階会場に足を踏み入れると、上田宗箇所持の担い茶屋がお出迎え。天秤の片方に風炉が、もう片方に金物の茶壷がしつらえられた、茶壷が珍重されていたころの雰囲気の伝わる道具。その横には、派手派手の陣羽織。 いきなり桃山の空気にひきずりこま…

槐記2 正月二日

享保十一年の正月二日の記事から。 (略) 御休臺ノ上ノ茶杓拝見スベシ、 是ハ三斎ノ茶道一斎ト云シ者、百歳ニテ削テ、御幼少ノ時直ニ奉リシトナリ、 二重タメニテ末ニ節有、 總ジテ茶杓ハ、茶入ニ相應ノ形アルモノニテ、初ヨリ形ヲ定ムルモノニアラネドモ、 …