2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

正月の展覧会

正月休みに行ける美術館。 美術館名 1/2 1/3 1/4 展示 三井記念美術館 × × ○ 雪と月と花 東京国立博物館 ○ ○ ○ 常設展 サントリー美術館 ○ ○ ○ 天才陶工 仁阿弥道八 徳川美術館 × × ○ 年の始めのためしとて 中村記念美術館 × × ○ 吉祥の文様 石川県立美術館 …

1月の展覧会

サントリーの仁阿弥道八と石川県立美術館の高山右近が注目か。 東京近郊 期間 タイトル 備考 サントリー美術館 -3/1 天才陶工 仁阿弥道八 三井記念美術館 -1/24 雪と月と花 畠山記念館 1/17-3/15 THE琳派 根津美術館 1/10-2/22 動物礼賛 新年の茶会 五島美術…

講座日本茶の湯全史9 千利休の生涯3

政治家としての利休の話。 利休と秀吉との興隆が見出せるのは、(略) ことに両者の関係がいっそう明確になるのは、本能寺の変の後、山崎の合戦に勝利した秀吉が山崎に在陣している時である。 米原正義によると、利休が秀吉の側近として立ち働く姿が、「十一月…

講座日本茶の湯全史8 千利休の生涯2

利休の納屋業などの話はすっとばして そのほかに利休が携わったと考えられる商品が、お茶と茶杓である。 お茶関連二業の話。まず茶。 お茶については、上林掃部宛ての一連の利休書状よりいくつかのことがわかる。 (略) 若手の利休は、宇治茶師の中でも新興の…

講座日本茶の湯全史7 千利休の生涯

中村修也著。町衆としての利休の生涯について。 千家については「千利休由緒書」という史料が唯一残されている。 この「由緒書」は、承応二年(一六五三)に表千家初代江岑宗左が、出仕先の紀州徳川家の命により、「千家系譜」とともに提出したものである。 (…

講座日本茶の湯全史6 茶会記から何を読み取るか

竹内順一著 茶会記からは、「優雅な茶の湯の思い出」や「町衆と武家との身分を越えた親交」が伝わってくると思われがちだが、そうではない。 痛快かっ飛ばしである。 それもあったかも知れぬが、茶会記は、内容上、三種に大別できる。 第一は、単に備忘録風…

講座日本茶の湯全史5 珠光から紹鴎へ2

紹鴎に関し、谷晃の意見は簡単である。 ともに京都なかんずく下京に居を構えた関係で、紹鴎は下京の人びとと親交を結び、茶の湯を学んだのであろう。ただし茶の湯を学んだとはいえ、現在の師弟関係をそのまま当時にあてはめるのは無理があり、もっとゆるやか…

講座日本茶の湯全史4 珠光から紹鴎へ

谷晃著。…書きたがると思った。 茶の湯の世界で「開山」とも称される珠光は、こうした茶の湯がしだいにその姿を明確にしつつあった時期に活躍したと喧伝されているにしては、同時代史料にその名をみることは少ない。 (略) しかも宗珠の後嗣は、あまりぱっと…

講座日本茶の湯全史3 会所の茶の湯

影山純夫著。太平記の佐々木道誉の記述や喫茶往来、慕帰絵などから会所の様子を詳らかにした章。 中世それも南北朝時代における世俗の茶の湯を考える場合、禅宗寺院とくに臨済宗寺院における茶の湯の影響を無視することはできない。 (略) 四ツ頭の行事で興味…

講座日本茶の湯全史2 平安・鎌倉の喫茶文化

橋本素子著。 東アジア文化圏の枠内にある日本には、大きくいって過去三度、当時の先進国である中国から喫茶文化が将来された。 一度目は文献上の初見が平安時代前期、唐から茶を煮出して飲むことを特徴とする唐式喫茶文化が将来された。 二度目は鎌倉時代前…

講座日本茶の湯全史

茶の湯文化学会/思文閣出版/2013年。全3巻の、茶の湯の通史の本。茶の湯文化学会の皆さんが分担して書いているので、やや記述にまばらなモノがある。まず冒頭は熊倉功夫「概説:茶の湯の成立」。 茶の湯を定義することは極めて難しい。茶の湯とは何か、と問…

新時代の礼儀作法7 男女交際の作法

最後に脱線その2。本書は一般的な「冠婚葬祭」を踏み越えて「子供のしつけ方」「着物の着付け方」とか「アパートでの交際」とか、いろいろ面白い項目があるのだけれど、白眉は「男女交際の作法」かも。 一、フレンドとのエチケット(略) 限られた同性だけの世…

新時代の礼儀作法6 新時代の作法

さて、ここからちょっと脱線。 本書では、これからの社交に関して、「新時代が来るぜ」とばかり教えてくれてます。 社交ダンスのやり方、みたいな項目もあったり。んで、項目があるということは、皆が知っているべきこと、著者がそう考えていたんだろうと私…

新時代の礼儀作法5 茶の湯総目録

以上は、客となってお茶をいただく側になって、あまり恥をかかないように、ひと通りのいただき方――それも、ごく簡単なところだけを説明したものです。 (略) しかし茶の湯の作法全体となると、なかなかこれくらいのものではありません。 (略) どれだけの心得…

新時代の礼儀作法4 どこでも気軽にいただける野点

しまった。本書は1950年の本ではなく、1965年のご本でした。 #奥付の読み間違い。 つまり終戦後に考えた「新時代」ではなく、昭和40年の「新時代」。 職場の忙しさや、家庭のわずらわしさもすっかり忘れ、気の合った若い人たちが、ごく自然に、なごやかなお…

新時代の礼儀作法3 お茶のすすめ方、しまい方

「新時代の」お茶の具体的な手順から。 (2)亭主は正客が一口茶をすすったところで、「替茶碗で失礼いたします」と挨拶して、左側に出された替茶碗を取り込み盆の上におきます。 (略)(3)客から返った茶碗をすすいでお湯を建水にすてますと、正客より「おしま…

畠山美術館 大名茶人 松平不昧の数寄

最終日滑り込みで観覧。不昧公を慕う展示、ということで今回の見どころは「箱書き」。特に油屋肩衝は、全ての箱を展示してあってド迫力。あんなちっこい茶入の為に、入れ子の箱がドカンドカンで最後は背負子がドーーーン!。利休牙蓋、織部牙蓋、古来牙蓋と3…

新時代の礼儀作法2 時代にマッチした盆点前

新しい「茶の湯」として、改まったお茶席のむずかしい作法も簡略にして、洋風の応接間で椅子にかけたままでいただく抹茶、あるいは茶の間でくつろいでたてる一服のお茶、どこでもだれでもたてられる抹茶の点前、これが盆点前です。 というわけで、略盆点こそ…

新時代の礼儀作法

大妻コタカ監修/日本女子教育会/1965年 #1950年は誤り。12/17訂正大妻大学(現大妻女子大学)の学長が監修した、女性の作法本。この本、内容本当に面白い。 こういう作法本といえば、塩月弥栄子の「冠婚葬祭入門」が知られるが、 この本を読んだ後だとうわっ…

伊羅保茶碗

私が愛してやまない伊羅保茶碗。デパートの陶芸展や釜元見学などの時に「現代物の」伊羅保茶碗を拝見する事がある。 だが、現代物の伊羅保茶碗は、例外無く「ワイルドな作風」で「厚造り」。 うっかりすると口辺が火炎土器の様にもっこもこになっていたりも…

水を飲むべし

サンデー毎日編/毎日新聞社/1925年。水の効用を説いた大正末の健康書。 水は百藥の長醫學士 高原 憲『水は中る』とは永い間因襲的に深く人々の頭に刻まれて醫家でさへ水を怖れることが甚だしい。 夏に向ふと内務省の訓令で『生水をのむな』といふ宣傳が始ま…

根津美術館 誰が袖図

“誰が袖”は、どーゆーわけか判らないけど、心躍る文様である。そーゆー“誰が袖”を期待していくと、ちょっとこの展示は物足りない。“誰が袖”文様の何か、があるというより、“誰が袖”のびょうぶが幾つかならんでいるのに加え、カラフルな衣装が描かれた大和絵…

高谷宗範傳 総括

さて、一冊読み終えた所で、高谷宗範についてまとめてみよう。 高谷宗範はどういう人だったか。 1.高谷宗範は『まじめ』であった。真面目すぎる程真面目にお茶の事を考えていた。 これは誰にも否定できまい。 2.高谷宗範は『やぼちん』であった。しかし、自…

高谷宗範傳27 家族の人々

最後に。 先生が蝶子夫人を迎へられたのは、明治十三年十二月九日であつた。 (略) 爾來琴瑟相和し先生御夫妻の間には八女五男を儲けられた。 (略) 先生の如く長壽に惠まれ、物質に惠まれ、而して又斯く多くの子供さんにまで惠まれた方も實に珍しい、 お子さ…

高谷宗範傳26 普通宴會禮法

では 一 普通宴會トハ料理店ニ出張シ開ク宴會ヲ謂フ 料亭などの宴会でどうするか。 一 料理店廣間ニ於テ宴會ヲ開ク時ハ總テ書院式ニ準ジ之ヲ執行スベシ 一 主人タルベキ者ハ夫妻共ニ料理店ニ出張シテ書院式ニ準ジ客ヲ接待スベシ 一 主人ハ自己所有ノ掛物及花…

高谷宗範傳25 書院式饗饌

宗範の書院式饗饌の作法。 一 主人襖ヲ開キ本膳ヲ持チ出テ上客ノ前ニ置キ一禮シテ退ク、上客答禮ス 此時上客ハ自ラ手ヲ出シ本膳ヲ受ケ取ルコトヲセズ、是レ草庵式ト異ナル所ナリ 一 夫人襖ヲ開キ本膳ヲ持チ出テ次客ノ前ニ置キ一禮シテ退ク、次客ノ答禮等皆上…

高谷宗範傳24 草庵の食礼

今日我國民一般の飲食を觀るに、一定の禮式を備へたる者あるを見ず、 ということで、食事作法にも改善を加えようとしていた宗範。草庵と書院、懐石を基本としている。まずは草庵の作法の、現代と違う部分を見てみよう。概ね同じなんだけど杯事が違う。 一 主…

高谷宗範傳23 革新改善すべき点

宗範昭和五年の講演の最後に、改善点のまとめがある。くどくない程度に引用する。 一 書院式を復興改善して草庵式と並び行ふ事 「並び行う」であって、草庵を否定してはいないのだが、それでも反発をくらうのは人徳というものだろう。 二 夫婦共同接待の法式…

高谷宗範傳22 関東と関西

宗範昭和五年の講演から。 關東富豪茶人は常に書院式に反對し、專ら草庵に名物珍器を陳列して茶事に遊び戯るヽ者多く、未だ茶道經國の精神に依り之を研究する人を見ず、盖之れあらん、余未だ之を見ざるを遺憾とす、 関東の茶人──これが箒庵一人を指すのか、…

高谷宗範傳21 茶道革新改善の急務

宗範昭和五年の講演から。 茶道は明治維新の時に於て他の文化と共に革新改善すべき者なり (略) 珠光今を距る四百年紹鴎、利休、凡そ三百年遠州、石州、宗旦は凡そ二百五十年を經過す、其れ此年代に於て創造編設したる所の茶道の法式は今日既に陳腐に屬する者…