2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ダイエット

ダイエットを、試みている。健康上の理由ってのは建前で、実は放埓な生活をしていたらなにげに服が合わなくなってきて、ワードローブ的にやばくなったからである。茶の湯的には足の痺れ対策では、いちおうある。 長年デブをやっていると、ダイエットはもうプ…

茶の湯のしるべ10 その他の作法

最後に気になるいくつかの作法を。 會席の全部を食べ終りましたならば、お湯を所望するのです。 (中略) 客方が湯を飲み終ります頃に、主人が膳を引きに出ますから、初めのやうに上客は自分の膳を取つて主人に手渡し、二の客以下は自分の膳をなるべく勝手近く…

茶の湯のしるべ9 濃茶の作法

本書の濃茶作法に、他の流派では見ない流れがあったので紹介する。 一口喫みました時に、主人から「誠に不加減でございます」との挨拶がありますから、これをうけて、三口半續いて喫み、右の拇指を外方に、人差指を内らにして喫口を拭ひ、指は懐紙で拭つて、…

茶の湯のしるべ8 中立

例によって中立の作法。 菓子が濟みますと中立となります。 中立の時は上客は二の客に一禮して、再び床前へ行き、掛物を拝見し、爐へ廻つて火の移り加減を見て露地へ出るのであります。 この描写からだと広間の様な環境しか想定していないっぽい。 小間だと…

茶の湯のしるべ7 菓子の作法

本書の菓子の作法がいまいちよくわからない。 懐石の次に菓子が出されます。 (中略) そしてその菓子が餅類でしたら、お代りを所望してもよいのです。 昔の本には良くある「餅はお代り可」。いまは聞かない。廃れた時期はいつごろだろう。…もしや俺が知らない…

茶の湯のしるべ6 飯後の茶の湯

飯後と云ひますのは、御飯の後といふことで、御飯後の茶會でありますから、一に菓子茶と申します。 これには五つ半即ち午前九時の朝飯後の茶の湯と、九つ半即ち午後一時の晝飯後の茶の湯とがありますが、何れも菓子の茶でございます。 ここまでは普通に飯後…

茶の湯のしるべ5 暁の茶の湯

暁の茶の湯について。 暁の茶の湯と申しますのは、朝早くの茶會でありまして、午前五時頃に催すことになつて居ります。 (中略) 客が一同揃ひましたならば、待合で先づ酒を出します。 肴は干物の類とか、納豆のやうなものを口取といたしますが、時としては卵…

茶の湯のしるべ4 茶の湯の作法

茶の湯の作法と申しますのは、つまり客を招いて茶を侑めます茶會の作法であります。 親戚、故舊、知己、朋友などが一室に集りまして、其の情を温め、交誼を親密にいたします。 しかも一舉一動にもよく禮儀を保ち、談話にも説を亂さず、質素を旨とし、常に互…

茶の湯のしるべ3 中国の茶史

中国の茶史の話は、当然陸羽を中心とする。が: 次いで芦同(ろどう)いふ茶道の祖が出まして、 芦同は唐の盧仝だろうか。 盧仝は「一碗喉吻潤」みたいな詩を残した人である。そして甘露の変で命を落した。 甘露の変は宦官一掃を目指したが失敗した政変である…

茶の湯のしるべ2 茶人

上代の茶史に関しては妙に詳しい本書だが、茶人に関してはちと古くさい。 この銀閣へ閑居しました頃、義政の朋友達は、珠光に就いて茶を説かれ (中略) その人達は誰々かと申しますと、春鴎斎、眞能學叟、眞藝、鑑岳眞相、又津田宗達、今井宗久等でございます…

茶の湯のしるべ

勢昭庵光斉/鴨川書房/1959年。戦後の茶の湯本。でもなんか戦前の空気漂う古安い装丁の本。 二段組で上のすき間に茶史、下に本文の茶の作法、という構成がいけないのかも。まずは上の茶史とか書いた部分「茶の湯寳典」から。 我國に於きまして茶が始めて書に…

お茶を漉す

抹茶は漉さないと使えない。まぁ使えないことはないが、ダマが残って飲みにくい。 缶を開けて、封を切ったばかりの抹茶を漉すと、しっとりした質感。でもこの状態の茶は、茶杓にこびり付いて落ちてくれない事もある。 しばらく経って、またダマになりそうな…

禅茶録11 総括

禅茶録全体に体する結論。 禅茶録は禅と茶のかかわりを書いた書物である。短いし禅側が我田引水しすぎな気もするが、その主張は理路整然とはしている。 俗の茶はよろしからず。南方録の紹介する茶にも俗の茶は含まれている。 茶の湯は禅の修行になる。 茶の…

禅茶録10 無賓主の茶の事

禅茶録最後の章。禅茶録と言えば「無賓主」という程のテーマ。 利休大秘事の無賓主の茶の湯とて南方録に出て大秘事底に於ては水石草木草庵諸具共に一箇に打破り去て、無事安心一樣の白露地是利休大居士明傳の大道とすべし。 此一段をもって會得すべしと有。 …

禅茶録9 體用の事

今回は: 茶道に體用の義あり。 世俗にては設便(タトヘ)ば器を扱ふに釜或は水指などの凡て動さゞる器を體用とし、茶杓茶入などの動し扱ふ器を用とす。 又躰用不離の義ありて、水指釜などは躰の道具なれど、持運び動す時は用となり、茶入茶杓などは用に屬すれ…

禅茶録8 露地の事

今の世俗、庭を指て内露地外露地と稱すれど、義理に於て甚相違せり。 本露地とは露ハあらはると訓じ、地は心を云り。此自性を露はすの義也。 一才の煩惱を離斷して眞如實相の本性を露す故に露地といふ。 露地は単なる庭ではなく、別世界の入口だと著者はいう…

禅茶録7 數奇の事

世上の茶人、好の字に意を用て、或は好み道具など稱して玩弄するに至る。 されど元來此文字は物好に落在すとて嫌ふ事にて、數奇の文字を用ふとてなり。 すきという文字に好きでなく数奇をあてたのは、好きに堕す事を避けるためというが、かなり辛いいいわけ…

禅茶録6 茶事變化の事

茶事に變化の義有て、南方録に道具器物の置方、手前のさばきかた、師傳萬端にして遁るゝ所なくして根本の規矩陰陽の秘事に至るまで覺へ盡す時は、千變萬化自由自在なりとあれど、かくては規矩の外に出て規矩に符(カナ)ふを變化と思へり。 禅茶録は文政11年(1…

禅茶録5 侘の事

侘の一字は茶道に於て重じ用ひて持戒となせり。 室町の茶の湯では「侘び」は貧乏という意味でしかなかった事を考えると、江戸後期では「侘び」が価値観にまで昇華されたことがよくわかる。 然るを俗輩陽(ウハベ)の容態は侘を假て、陰(ウチ)には更に侘びる意…

禅茶録4 禅茶器

禅茶で使う道具について。 禪茶の器物は美器に非ず。珍器に非ず。寶器に非ず。舊器に非ず。 圓虚清浄の一心をもって器とするなり。 この一心清浄を器として扱うが禪機の茶なり。 されば名物などいひて世に賞翫する茶器は貴ぶに足ず。 名物や高価な道具がいい…

禅茶録3 茶の意の事

さて、茶意と禅について。 茶意は即禪意也。 故に禪意を舎(オキ)て外に茶意なく、禪味を知らざれば茶味も知られず。 然るを世俗に茶意とするは一箇の趣を立るをいへり。 茶の心は禅である、なのに、世俗では茶の心は趣きを立てることになってしまっている、…

禅茶録2 茶事修行の事

夫、茶の原意は器の善悪を擇はず、點ずる折の容態を論ぜず、只茶器を扱ふ三昧に入て本性を觀ずる修行なり。 扨、茶事に託して自性を求むるの工夫は他にあらず、主一無適の一心をもって茶器を扱ふ三昧の義なり。 設便(タトヘバ)茶杓扱はんとならば、其茶杓へ…

禅茶録1 茶事は禪道を宗とする事

喫茶に禪道を主とするは紫野の一休禪師より事起これり。 (中略) 故に一切茶事にて行ひ用ふる所禪道に異ならず。 とりあえず利休→珠光史観で禅茶録は開始される。茶事での全ての方法論は、禅に違わない、という文章は、一見山上宗二の主張に等しいようで、実…

茶 私の見方17 禅茶録

古田紹欽「禪茶録」より。 茶道についてのいゝ書物が少ない。 南坊宗啓の手になったものか、誰が書いたか知らないが所謂、利休著南方録といふものも、一寸讀むには理窟ぽくてむつかしい。 南方録の影響は昭和40年代まで続く。だが、一部からは昭和28年の段階…

茶 私の見方16 利休の朝顔の茶

堀口捨己「利休の朝顔の茶」より。 利休の朝顔の茶會、これについては既に御聞きになった事がありませう。 それは古くからいろいろな物に書かれ、また語り續けられてゐる極めて名高い話でありますから。 然しこの話は誠にあった事か否か、利休時代の書物には…

茶 私の見方15 ディストピア

肥後和男の「周邊子の立場」の続き。貴族性の話は恐ろしい思考実験に到達する。 やはりお茶は貴族的なものであるし、またそれでよいのだろう。 共産主義の世の中になったらどうか知らないが、當分は名席をしつらえ、名器をならべてやってほしい。 今後民主主…

茶 私の見方14 貴族趣味

肥後和男の「周邊子の立場」より。 私などはもとより茶人といわれるべきものではない。 時のお茶の會に顔を出したり、頼まれて茶に關する雑文を草したりするだけのことで、いってみればひとりの周邊子に外ならないのである。 ところが日本にはこういう周邊子…