2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

5月の展覧会

なんなの、東京でのこの春展示の無さ。密かに名古屋行きたい。吹田市立博物館もかなり見たいぜ。 東京近郊 期間 タイトル 備考 畠山記念館 -6/15 茶道美術の玉手箱 根津美術館 -5/18 燕子花図と藤花図 初夏の茶の湯 Discovery Museum -6/15 細川家珠玉の名碗…

江岑宗佐茶書12 江岑聞書

江岑が細川三斎から聞いて書いた部分。 一、台子ニテ火ヲナヲス時、釜ヲ何時モ風炉ノ有方ノへいノキワへ上ルソ、 何ソ勝手ニテモ同前也、 自然大キナル釜テ勝手ツカヘタラハ、水指ノ方へ上ルソ みたいな奴。内容的には 台子 1 行灯 4 炉、風炉 6 天目 4 盆点…

江岑宗佐茶書11 江岑咄之覚 枝打ち

北向道チンより紹鴎の路地之木見へ申候、紹鴎エタ打被申候 北向道陳の家から紹鴎の露地の木が見えた。 紹鴎は枝を打たれた。 これだけの記述であるが、私は「壷中天の仕掛けは外から見えちゃいけない」という美意識が成立していた、と取りたい。 初期茶道の…

江岑宗佐茶書10 江岑咄之覚 しみたれ

一、紹鴎、宗珠、宗五へ茶をのミニ被参候てから、 御帰りニ粟田口ゼンハウ被参、 茶をのミ口すゝきたると被申候、 右両人ハしミたれ申茶之湯者なり、 茶之湯いたし様ハ、大木を切テなけ出したるやうニ、 むさうさ(無造作)何のかまわぬやうニいたしたるか能候…

江岑宗佐茶書9 江岑咄之覚 卒塔婆

一休初祖之円覚大師と有一行物、 珠光表具に而堺ノ寺有を利御覧候て、 墨跡ハ紙之内四方之物面白きと思ひ候ヘハ、 又一行物、高ソトハヲ立テ様ニ面白きと被申候、 其より一行物はやり申候、 大昔は横物すき申候 一休の書いた、「円覚大師」と有る一行物が 珠…

江岑宗佐茶書8 江岑咄之覚 紹鴎と利休

一、易、千ノ与四郎ノ時、紹鴎へ数度被参候へ共、終ニ紹鴎なすび、与四郎ニ見せ不被申候、 或年歳暮之礼ニ大晦日之晩ニ参候へハ、紹鴎ハ路次の木の枝をうたせ候て被居候、 与四郎礼ニ被参候由申し候へハ、小座敷へはいられ候へと被申候、 利、座敷へ入候へハ…

江岑宗佐茶書7 江岑咄之覚 住吉屋宗無

江岑咄之覚には、住吉屋宗無に関するエピソードもいくつか入っている。 住吉や宗無、佐久間不干老茶之湯ニ申請遅御出候ヘハ、宗無罷出候とてよび入不申候 住吉屋宗無は、佐久間不干を茶会にお招きしたのに遅く来られたので、宗無は入れなかった。かなぁ。宗…

江岑宗佐茶書6 江岑咄之覚 高山南坊

高山右近の茶について二点。 一、太閤様、南坊へ台子之茶堂御所望被成候、 其時釜蓋ノつまミ、くわんなく候へハ、 南坊フところニくわんを入候て、釜ノ蓋取被申候、 かうしや(巧者)ニて候、手前見事ニ候 秀吉が高山右近に台子を所望した。 釜の蓋につまみが…

江岑宗佐茶書5 江岑夏書補遺 織部と花

一、織部方へ去方より花をおくり被申候、 花の枝葉迄念ヲ入あらい候て参候、 織部返事、 花過分ニ候、 併花古キと見へ申候と返事ニ候、 惣而花なとおくり申候ニハ、手前ニ而あまりなぶり不申候て遣候かよく候 織部へある人が花を贈った。 花の枝葉迄入念に洗…

江岑宗佐茶書4 江岑夏書補遺 壁ひ

一、小座敷俄出来ニ而客相極候時なとハ、 壁ひ不申候て、墨跡懸候事不成候時ハ、 床之内斗板打候て墨跡懸申候、 利或時被成候由、旦被仰候、 常ノ事ニ而ハ無之候 「壁ひ」は「壁干」かなぁ。小座敷出来たばっかなのに客が来てしまうような時は、壁が乾燥して…

江岑宗佐茶書3 逢源斎書 茶桶箱

逢源斎書に見る茶桶箱の話。 一、さんふた茶桶箱、木地やろうふた(薬籠蓋)茶桶箱之事、 右二色ともニ茶桶棗之惣家也、 就夫常に茶をはき候て茶桶箱へ入ル、 其故夜咄なと茶を両種挽候へて、茶桶箱へ入れたうこ(道庫)の内なとニ入候、 但棚ニ置候事はなく候、…

江岑宗佐茶書2 逢源斎書 墨蹟

逢源斎書に見る墨蹟の掛け方について。逢源斎書: 墨跡朝ノハ前之日ヨリ掛、昼ノは朝掛申候、 当座ニかけ申事あしく候、 事之外きんミニ候、 其故墨跡は会前也、 織部は自然、会之後ニ掛被申候 墨跡は(ピンとしてないといけないので)あらかじめ掛けておけ。 …

江岑宗佐茶書

主婦の友社/1998年。江岑宗佐の残した茶書を集めた本。冒頭は「逢源斎書」。 江岑夏書の異本みたいなもので、本書では。江岑夏書と上下段比較で掲載されている。ほぼ同じなんだけど、「逢源斎書」にしかない内容もある。 一、古肥前之守殿ニ利休姥口之あられ…

魚の入手

お茶事にちょっと変わった魚を出したいとき、ネットの魚屋は便利だ、と思う。ここなんか、いろいろ手に入って楽しい。http://mokuyouichi.com/私はヤガラを買った事がある。刺身にしても焼いてもンまかった。 これは茶事に使えるんではないか? スーパーに行…

茶会記の風景17 酒井宗雅

酒井宗雅に関して、弟抱一がどうこうはどうでもいい。この頃の茶風がやはり主眼になるべきであろう。 茶器については和物が圧倒的に多いことのほかに、薄茶器の種類が豊富であることや、「覚々斎書付利休小棗」の表現が注目される。 とくに「覚々斎書付」と…

茶会記の風景16 川上不白

不白の時代の茶の湯について。 さて、つぎに不白が茶会に用いた茶具のうち、まず掛物からみていくと、禅僧の墨蹟と茶人の書が圧倒的に多く、古筆や絵画は少ない。 また墨蹟といっても(略)大徳寺僧が大部分を占める。 茶人では千家関係に限られ、織部や遠州・…

茶会記の風景15 伊達綱村

趣味に走って隠居させられた仙台藩主 伊達綱村。 綱村はまた茶の湯をたいそう好み、その茶会記が千三百会余り残っている。 (略) さて千三百会余りの綱村の茶会記には、多くの茶具が登場し、そのすべてを紹介することはとてもできないので、茶具に「購入」「…

茶会記の風景14 片桐石州

これら石州茶会記を通覧してまず気のつくのは、客に武家−それもかなり高位の−が多いことで、町人や僧侶は少ない。 また茶会の道具組みの変化に乏しいことに驚かされる。 (略) 石州の五十代以降に催した茶会を記録した四種類の茶会記の道具組みは、それぞれ基…

茶会記の風景13 柳営

江戸徳川将軍家の茶の湯について。 とまぁこんな調子で御成は進行したのだが、これだけのことで御成は済まされない。 義直の高級家臣十二人を含めた相伴衆のほかに、将軍の御供衆三百人に五・五・三の膳部 、 二百人の御徒歩衆と六十人の足軽衆には略膳部、…

茶会記の風景12 宮廷

公家の茶会について。 まず公家の茶会には、それがおこなわれたのが御所であろうと自宅(院)であろうと、参席者に武家の名をまったく見出すことができない。 鳳林の住む鹿苑寺(金閣寺)へは気軽に武家も訪れているのに対し、きわだった相違点と言わざるをえな…

茶会記の風景11 鳳林承章

鳳林承章とはあまりなじみのない名前かもしれないが、江戸時代初期の文化を研究しようとする人にとっては、避けて通ることのできない重要な人物である。 というのは、彼は約三十年にわたあって克明な日記を書き続け、そこには宮中・寺院・武家・町人の姿が生…

茶会記の風景10 小堀遠州

小堀遠州の茶会記は二十数種伝えられ、それらに記された茶会の数は延べにして千会をゆうに超える。 しかしながら同系の写本も多く、同一の茶会を数種の茶会記が重複して載せていることもしばしばであるから、実際には四百五十会前後になると考えられる。 と…

茶会記の風景9 大文字屋宗味

京都の北村美術館に、「疋田筒」と通称される茶碗が所蔵されている。 (略) その添状には (略) 大文字屋宗味が所持し、「大文字屋筒」と称されていた事を伝えている。 というわけで?大文字屋宗味のお話。でも大文字屋所有の茶道具の筆頭は「初花茶入」だと思…

茶会記の風景8 細川三斎

大徳寺第一七〇世清巌宗渭は、 (略) 奈良の守顕を連れて、折しも領地八代で病気療養中の三斎を見舞っている。 この年七十二歳になった三斎は、(略)病気とはいってもそれほどのことはなかったのであろう。 (略) 二人の到着を待ちかねたように茶会を催した三斎…

根津美術館 清麿

メイン展示の「清麿」は幕末の刀鍛冶、清麿の刀の展示。新々刀なので、大金持ちの根津さんが持つ様なものではなく、全て「個人蔵」で根津美術館所蔵の品がないという不思議な展示。清麿面白いし珍しいし、いつものごとく照明に不満なんだけどまぁこのブログ…

茶会記の風景7 古田織部

奈良吉野の蔵王堂から土産物屋が軒を並べる細い通りを上ノ千本に向かっていくと、途中に竹林院群芳園という旅館がある。 …と、織部の利休亡魂茶会から話は始まるが、まぁこれは掴みであんまり本題関係ない。 松屋会記や天王寺屋会記にある織部の会記を集計し…

茶会記の風景6 織田有楽

慶長十八年(一六一三)九月二十七日、織田有楽は大坂天満の自邸に、豊臣秀頼を迎えた。 相伴衆は大野修理亮治長と武野宗瓦。 (略) さて有楽は、秀頼の“御成茶会”に瓢箪花入・芋頭水指・清正尻膨茶入・甲茶碗などを用いたが、なかでも「懸物 大灯 松岳の似せ物…

茶会記の風景5 松屋三代

次頁の表をご覧いただきたい。 この表は久政・久好・久重が、それぞれ訪れた茶会の席主を、僧侶・神人、武家、町人に分類して、その割合(数字はパーセント)を示したものである。 私も似たような事をやっていたのを思い出した。http://d.hatena.ne.jp/plusmin…

夜桜2014

近所にちっちゃなちっちゃな穴場の公園がある。桜が数本植えてあり、公園とその周囲の街灯が適切なライトアップになっている。 …毎年ここで夜桜の写真を撮って来たが、恐い感じにしか撮れないのでヤメ。 どうせホンモノのきれいさは写せないんだし。 私の仕…

茶会記の風景4 神屋宗湛

天正十五年(一五八七)正月二日、神屋宗湛は堺の天王寺屋道叱に招かれて、相客の大和屋立佐ともども初春の茶の湯を楽しんでいた。 濃茶を啜りながら歓談していたとき、大坂にいる津田宗及からの急使が届いた。 ―明日大坂城で豊臣秀吉が大名衆に茶を振る舞う際…