2013-12-01から1ヶ月間の記事一覧
1月の予定表に加え、年末年始の予定を立てる為の茶道具美術館状況も更新。 美術館 12/28 12/29 12/30 12/31 1/1 1/2 1/3 1/4 1/5 展示 三井記念美術館 × × × × × × × ○ ○ 楽茶碗と新春の「雪松図」 五島美術館 × × × × × × × × ○ 茶道具取合せ展 永青文庫 ○ …
隠居後の光圀の話。 一見、樵家の如き山荘に住んだ義公は、西山樵夫の名を以て珍しくも山田宗偏の『茶道要録』に序文を物し、それが自筆刻で掲載されている。 しかもそれは発行書肆の依頼によったものであった。 書肆は京都出雲寺和泉椽と丸屋源兵衛である。…
光圀こと徳川義公の話。 『桃源遺事』は侍醫井上玄桐の筆録を元にして侍臣三木之幹等が編輯した義公の伝記で、 安積澹泊等の編した『義公行実』と並んで信頼すべき義公の資料である。 「むかし下総国小がね、武州江戸より六里と云ふ所へ狩に御出被成、 (中略…
光圀の父、頼房の話。 頼房がどれほど茶に熱心であったか不明であるが、江戸城内の茶事にしばしば客となり、圓悟や虚堂の墨蹟や名物茶入・投頭巾などに接していたことは、記録に残っている。 兄であり将軍である秀忠が、織部の弟子の茶執心だから、頼房が興…
伊豆山善太郎/いばらぎタイムズ/1988年。水戸の茶の湯について書いた本。水戸の茶の湯、と言われても「高橋箒庵の故郷だよなぁ」ぐらいしか思わない。 あんまり茶どころというイメージはない。「じゃぁ光圀の話メインかなぁ」と思うが、大体あってる。 でも…
映画「利休にたずねよ」を見に行く…気はしない。映画以前に原作が駄目。あんなつまんない原作が賞を取れたのも、「そろそろ山本兼一に賞あげなきゃな」という背景があったんだろうと思っている。 ただ、この映画、万代屋黒などの本物の長次郎の楽茶碗が出演…
来年早々、遠州流の映画が上映されるらしい。http://chichihaiemoto.com/ 本作「父は家元」は430年の伝統を受け継ぐ遠州茶道宗家の13世家元小堀宗実の活動に密着取材し、茶道の芸術性とその背景にある日本文化の真髄を浮かび上がらせます。 さらに家元の娘…
このあと不昧とか直弼の話になるけど、通り一遍の話だからスルー。最後にいまいちわかりにくかった「伏見騒動」が解説されていたのでそちらを。 http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20081028遠州流の小堀政方のページでは その後、伏見奉行となるが、在任中…
さてここまで武士の茶を扱って来たが、ここで町民のお茶に話は移る。町民がお茶をできる、という背景を、著者はきちんと描く。 農民の生活も、その性格はちがうが、武士とおなじように、はなはだ窮屈なものであった。 しかし農民の孜々とした働きによって、…
遠州と石州の話。 遠州の茶道観を端的に示すものは、いわゆる「書捨ての文」のはじめにある、「茶道とて外にはなく、君父に忠孝をなし(略)云々の一文である。 大名茶への旋回のうちにも、織部がギリギリの線で守ってきたところの、人間的自覚、個性的主張は…
それから織部の話。 征明の役に、捕らわれて来朝して、朝鮮の姜ハンの著した「看羊録」に 「堀田(古田)織部なるものあり、毎年天下一と称す、 (中略) もし織部の称賞といへば、すなわち更に価を論ぜず」 (中略) 右の記事は、織部が、同時代人によっても、「…
そして利休の、切腹の話。 この時の利休の辞世の偈は、 人生七十、 (中略) だがこの遺偈の文は、すでに古く、中国の蜀の人の幹利休がつくったもので、利休はこの文を、まえもって用意しておいたのだともいわれる。 まだ近重物安の話が信じられていたことがわ…
秀吉のお話。 本能寺の天正十年から、天下統一の同十八年までが、秀吉にとって、もっとも上昇期の華々しい期間っであったように、利休にとっても、この時期は、彼が歴史の舞台に、大きく、その巨影をうつしたときであった。 利休は、信長の茶頭として五百石…
この章では茶湯の地方普及として、薩摩の上井覚兼を例に挙げている。 彼は、天正年間を通じて、そうとうたんねんに日記をつけている。 その全部が今日のこっていないのが残念であるが、さいわいに天正十年十一月から、十四年九月までの、くわしいものがつた…
社会の変革期には、しばしば異常な性格の人物があらわれてくる。 (中略) さしあたって、松永久秀と織田信長などは、その代表的なものであろう。 エラい言われようだが、つまり久秀と信長のお話である。 久秀と信長は似ている点が非常に多い。 (中略) 主家を…
紹鴎のすこし前の人だが、京都に宗純という禅僧がいた。 (中略) 一休は狂雲子と号しているように、洒脱と奇行で有名である。 (中略) この現実性、俗物性、とらわれぬ露出性というところで、一休と堺の町人は相通ずるものがあった。 しかし一休自身の行動派、…
珠光と古市播磨のお茶がどういうものであったか。 ところで、この茶祖といわれる村田珠光という人物のことが、じつは、はっきりわかっていないのである。 彼は文亀二年五月に、八十一歳で没したといわれているが、彼について書かれているものが、おおむね後…
南北内乱期の名僧といわれる夢窓国師は、その著書「夢中問答」で、「近頃世間デケシカラズ茶ヲモテナサル」などと書いている。 いきなり夢窓疎石が世間の茶に批判的であったことから入る、というのはなかなか他の茶書には見れないかもしれない。 とくに、嘉…
本書は茶人のエピソードを、歴史の状況と共にミモフタモナク紹介する。 それならば、この「ばさら」に象徴される南北内乱期の社会はどんなものであったか、しばらく思いつくままに、その一端をえがいてみようと思う。 (中略) この半世紀の南北内乱を通じて、…
さて、茶の歴史に、まず第一に登場してもらう人物は、なんといっても、僧栄西である。 という事で栄西。普通の茶書なら「栄西は中国で禅を学び、帰国時に茶を招来し、喫茶養生記を書いた」で終わりなのだが、本書はちょっと違う。 大師といえば弘法の独占物…
原田伴彦/淡交新社/1959年。南北朝の動乱を茶道の視点で見たもの…ではない。 同じ軍記物語でも、保元物語には、源義朝と為朝という二人の主役が登場してくる。 (中略) ところが太平記になると、もはや一人の主役もいない。 なるほど後醍醐天皇や正成あるいは…
武者小路実篤/座右寶刊行會/1946年。武者小路実篤が「牧谿イイヨ〜!梁楷イイヨ〜!」と語るだけの、何の深みもない本。 牧谿の小品の柿圖は不思議な畫である。 何處が不思議かと言ふと、何でもないやうに見えて、實に何とも言へないいゝ畫なのが、不思議で…
茶道具屋にもいろいろある。茶筅や茶巾買いに行くような安い茶道具屋は入りやすい。日本橋界隈にある、骨董屋兼ねててうっかりすると重要美術品とか置いてある店は入りにくい。まぁ間違って、でなら入った事がある。無知だった頃、無知ゆえに日本橋の某楽焼…
茶道便蒙鈔の点前と1977年の「茶の湯テキストブック 宗偏流」のお点前を比較するよ。茶道便蒙鈔 柄酌蓋置持出圖の所に置客へ膝御直しの時宜有へし 扨主もとくと居直るなり 居樣は建水の方の膝を少跡へひく也 それゆへ風爐も小板のろくに不構表の方へ少しひら…
茶道便蒙鈔の記述: 一 柄杓釜の上に置樣三色有 前のことく釜の向の縁にかけ置持ちたる手のゆびをゆるめ直に中指に乗たる柄を柄さきまて手を引それを直に釜の縁に置さまに手を放チ茶筅を取也 又一應ハ柄酌をあらひ持出たるゆへに柄にしめりけ有により中ゆび…
そして風炉編。茶道便蒙鈔の記述: 一 灰の仕樣又多少ハ爐の内と同意也 心得前土器は暑き時火を見せまじきが為なれば世間あつきなど高く立る也 酷熱の時分に二枝かさねて立るなり 年若きものは此土器を上を下へしてろくなる方を見せて立させたる事もあり 灰…
茶道便蒙鈔の記述: 一 濃茶の跡にて湯を好む事あり 當代ハ濃茶を呑仕廻是に湯を入御出しあれと申時亭主も心得是にて湯を入出す近此むさき事也。 但茶を大切の心得にて時宜に湯を好むか全ク其心得にハあらず相違なり 茶の湯の水の念入りたるを賞翫せんために…
露地入りの続き。茶道便蒙鈔の記述: 一 朝會には手水つかはず 朝は會前に茶を不呑故也 但時宜によるへし 手水をつかふ事は手の脂氣を清めん為也 晝の會に午の刻より參事會以前に茶を呑咄へき為なり それにより必手水をつかふ (後略) 慶長9年頃から朝会も手…
ここからは客作法編。茶道便蒙鈔の記述: 一 茶主むかひに出ば一禮を申上下取候へとの儀ならハ挨拶次第に致へし 尤主人も其通りの時宜有へし 亭主が迎えに出てきて礼をして「裃取ったらどうでしょう」と云われたらその通りにしなさい。 まぁ裃のまま通す場合…
茶道便蒙鈔の記述: 一 廬地の作樣山の體を用ゆ。 第一の好ハ松。樫。紅葉の類。 萩薄也此外色々難及筆。 唐めきたる物をは嫌ふ。 惣して座席の花に入る草木をば廬地に不植也。 古織ハ。槇。樅。もつこくを専要とす。 利休ハ中にも是を不用也。 露地は山っぽ…