2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

3月の展覧会

GWを跨ぐ展示がそろそろ開始。気になるのは湯木。 例年春季展はGWまで引っ張るのだが、今年は3月で終了。 GW前に夏季展示が開始されるのだろうか? 二月末時点では平成25年度の展示スケジュールが判らないんだよね。 東京近郊 期間 タイトル 備考 五島美術館…

瀬田掃部の茶入

瀬田掃部は大ぶりの茶杓を作ったことで有名。南坊録の解説だと、所有していた大きな皿の様な高麗茶碗に利休が「水海」という銘を付けてくれ、その際に「勢多」という茶杓を贈ってくれた。その茶杓を見本に作ったから、瀬田掃部の茶杓は大きいのだという。確…

若き日の利休6 紹鴎の死後

第7章は紹鴎の死後の話。 第6章「簡素のすがた」は、タワゴト感ハンパないのでさすがに回避。さて、紹鴎の二人の「一の弟子」辻玄哉/山本助五郎が茶の湯のリーダーにならなかった点につき、こう語っている。 それを思ふと、各々一の弟子とされる人があり乍…

若き日の利休5 新しい美

第5章では竹の花入や蓋置などの新しい風潮を描く。でも: 上にある人々が奢侈を好むことは、その競ひを上下の間に生んだ。かの應仁文明の亂の如きも、義滿が花の御所の生活をした時に既にその原因をもつてゐると云はねばならない。 (中略) その結果を十分經…

若き日の利休4 侘びのみち

第四章では侘び茶の浸透に関して記述している。 「クドガマヘ」のみをし、これを紹鴎構へと云つたのは、自ら敢へて麁相の生活に赴き、奢らぬ樣を示す「しほらしさ」を持たうとした事であつた。 これが「侘數奇」と世に云はれてゐたのは、世の富貴とは異り、…

若き日の利休3 紹鴎と利休

若き俊英の利休を、紹鴎は可愛がったと著者はいう。 かうした新しい性情をもつ輿四郎に、紹鴎は却つて頼もしい心を感じたであらう。 前の時代の人は、それ/゛\の心に結んだ實をも、いつしか地におとしつつ、末知らぬものとなつてゆく諦観をもつたのである…

若き日の利休2 道陳への師事

十六歳にして松屋を招く會をしてゐる利休は、十七歳にして、堺の人北向道陳の弟子となった。 京の与四郎が16歳の利休なのだとしたら、まともな人に師事していないヤング利休が松屋ほどの茶人を招く、という事に誰も疑問を持たなかったんだろうか? それはと…

若き日の利休

西堀一三/河原書店/1948年。西堀一三が描く、young 宗易の物語。 茶の道を大成した利休は、如何にその若き日を過ごしたであらうか。信長や秀吉に仕へる前のありし日を顧る意味からも、亦庶民都市堺が生んだ青年の意志を知る上からも、興味ある問題がこヽに含…

お茶の学びと人間教育2 日常茶飯

これからの時代、もっと多くの子どもや若者が<お茶>に親しんで欲しい。 これは私だけでなく、少なからぬ人が今、願っていることではないだろうか? しかしなぜ、<お茶>なのであろう。 「お行儀がよくなるから」とか、「上品な趣味を身に付けておいた方が…

お茶の学びと人間教育

梶田叡一/淡交社/2002年。うん、タイトルからして出オチ臭ハンパ無い。 第一章<お茶>の生き方に学ぶ<お茶>をすると、いろいろなことを学ぶことが出来ます。 お茶のおいしい点て方や飲み方がわかるとか、きちんとした立居振舞が身に付くとか、健康増進に…

茶の美術 芋頭

昭和55年トーハク「茶の美術」展は相当の人気だったのか、その展示目録は古本で大量流通している。その三島芋頭水指の所に以下の様にある。 興味ぶかいのは、この水指は本来、徳利形の瓶であったもので、わが国に招来されてから水指用に上半部を欠き落し、ど…

ミント=テロ

ミント=テロというものがある。 ミントは、繁殖力が極めて高い植物である。うっかり地面に撒くと、抜いても抜いてもはびこりつづけ、隣の家の庭にまで侵入して行く。何時の間にか庭が侵蝕され、そしてミントだらけになる。これを称してミント=テロという。 …

茶道ジャーナリズム60年7 淡交

戦争に備え作られた淡交会の戦争中の活動は、いまひとつ不明である。 しかし、淡交会は、その機関紙としての淡交を戦後産み出す事となる。 ところで、全国組織に統一された淡交会は、昭和二十一年十一月二十日の支部長会議において、淡交会の機関紙の発刊を…

茶道ジャーナリズム60年6 淡交会

昭和十五年。中国で戦争が泥沼化しつつあった頃、利休さの三百五十忌法要が行われた。 用紙入手難、減頁、発行部数制限とひたばしりに悪化の傾向をたどってゆく。利休三百五十年を契機に、ひろく一般に対して、茶道の普及活動を意図していた茶道雑誌ジャーナ…

茶道ジャーナリズム60年5 茶道月報の収入

茶道月報の創刊時スタッフ。 この時の編集同人には、 井口海仙、神谷保朗、金沢宗為、佐々木三味、広瀬拙斎、壷井宗翠、坂本宗倫、高橋宗伯以下となっている。 錚々たる面々。 んで茶道月報の価格は以下の通り。 壱部 五拾銭 三ヶ月 壱円五拾銭 六ヶ月 参円 …

茶道ジャーナリズム60年4 茶道月報

大正十一年(一九二二)六月、『今日庵月報改題、茶道月報』が通巻百三十八号として発刊された。 (中略) 判型はA5、八十二頁、巻頭口絵アート四頁で構成されている。 現在の淡交と驚くほどそっくり。90年くらい変わってないと言ってもいいのかも。当時の読者欄…

茶道ジャーナリズム60年3 茶の湯への女性進出

今日庵月報にみる女性進出。 第一は、茶道修行を志す女性が、急激に増加して来たということである。 すなわち、大正二年の夏期講習会の記念写真が、翌九月号に掲載されているが、女性は三分の一程度であるのに、 (中略) 大正九年の夏季講習会の写真をみると…

茶道ジャーナリズム60年2 今日庵月報

一番最初の機関誌、今日庵月報の明治四十一年 発刊の辞より。 (略) 茲に未曽有の盛会を揚げて、初祖二百五十回忌を終了したるは、当代の深く感謝する所なり。茲に於てこれを記念に、裏千家の茶事発展を期し、全国各家に於て、各自茶事の催しあるも之を全国一…

茶道ジャーナリズム60年

淡交社/1968年。淡交ビルヂング竣工記念に出版された回顧本。つまり45年前の60年前の話。…やはりあの時代のビルだったか。 納屋嘉治の「わがよき同志とともに」: 『淡交』が、裏千家淡交会の機関誌として誕生いたしましたのが、昭和二十二年の春でありまし…

急須の蓋

急須の蓋が割れた。おっことしたわけでもないので、どうも焼成時にクラックがあったみたいだ。もちろん漆で継いだ。が、ちょっと使用すると簡単に外れてしまった。 漆で継ぐ、という技法は、結構強固だし(茶の湯の美意識の上では)美しい。だが、何にでも使え…

戦争と茶道6 松屋會記を讀む

本書の巻末ふろくには、著者の茶書研究である「松屋會記を讀む」が載っている。むしろこの研究を発表したいが為、戦争礼賛の茶書を書いたのではなかろうか? 著者は松屋会記を主に二つの視点で調査している。 一つは客の顔ぶれについて。 もつとも本記の久政…

戦争と茶道5 東亜共榮圏と茶道2

昨日の続き。著者は、日本がこんな素晴らしいのは中国から伝わった茶と米を改良して、心やすらかだから、と説く。えー? 而してわれ等の偉大なる先人信長や秀吉等が、嘗て同じく戦禍に苦んだ世を安くする為めに行ふた先蹤と同樣、彼等を導くのにまづ權道の茶…

戦争と茶道4 東亜共榮圏と茶道

さて、本書は戦争末期に出版を許された様な本なので、国威発揚もきちんとしなくてはならないわけでありますな。 八紘一宇の、大御心のもとに、今や大東亜共榮圏の基礎は、忠勇なる皇軍の威武のもとに成らんとしてゐる。 而もこの十數億にあまる民族は、中華…

戦争と茶道3 織部の死

昨日の茶と禅に関する文の続き。 だから例へばかの豊臣恩顧の大小名中、大阪夏の陣に在つて、孤手よく頽瀾を既倒に覆さんとして成らず、従容として一束をあげて自盡し眞に南八男兒の慨のあつた茶伯古田織部正が、 以下でも触れたが: http://d.hatena.ne.jp/…

戦争と茶道2 茶と禅

だが是等の事實と、後のわが茶祖珠光がもと禪僧であり、更らに利休を始め茶界高名の巨匠が多く大徳寺に參禪せることから、既に鎌倉時代から點茶の法が相當整備せられ、その理念も禪即茶、茶即禪などと好んで一概に論じ去らんとする者も見受けるが、事實茶道…

戦争と茶道

佐伯太/増進堂/1944年。佐伯太は昭和18年に「お茶」という本を出版している。 http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20110716戦中の紙配給と出版統制の中で、どういう力関係で連続2冊も本が出せたのだろう?結構疑問。 内容は茶史の本だが、文化論的でもある。…

2100円と3150円

私が普段買っている抹茶は、一保堂の「青雲」。http://shop.ippodo-tea.co.jp/kyoto/shop/goods/index.html?ggcd=102044&cid=matcha40gで3150円。薄茶にはおいし過ぎるくらいだし、濃茶にも十分使える。なにより、どこでも買えるので気楽である。しかしなが…

茶筅レビュー 宗筅作蓬左

献上写穂 宗筅作蓬左。 新宿 青松園で購入。数穂で2500円。軸太さ22mm。穂先一本一本がやや太く見える。 しかし穂先の竹はかなり均一。固からず柔らかからず。しなやか。 10回使用後の状況;中穂の一本が折れているが、他は問題なし。 使いやすいしコストパ…