2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

4月の展覧会

春展示本格始動。でも関東はややさびしい。畠山、永青は行くとして、遠いトコどうすっかだよなぁ。 関西それなりに凄いコトになってるし。 東京近郊 期間 タイトル 備考 畠山記念館 4/2-6/12 光琳とその後継者たち 根津美術館 4/13-5/15 国宝燕子花図屏風 永…

天王寺屋会記に見る宗及の茶会参加

天王寺屋津田宗及会記の、天正4年の自会記と他会記をカウントしてみた。こんな感じで。誰が亭主で、誰の会に行ったかをカウントしてみた。 天正4年の宗及は、亭主45回。客22回。計67回のお茶会に参加している。週1以上ペースだが、実は9月〜10月にお茶をした…

天王寺屋宗及の記述粒度

天王寺屋会記の、津田宗及部分で特徴的な記述は以下のとおりである。 客組は必ず書かれている 茶道具は書いてない時がある 書いてあっても全部の道具ではない。 「茶湯常如」…いつもどおり、という記述の時もある。 他会記とは、ふつう、どの日に誰がどんな…

天王寺屋/松屋会記における天目と茶碗

もうちょいブレイクダウン。 天正10年〜12年の天目と茶碗の利用を、二つの会記から調べる。天王寺屋津田宗及会記: 年 天目 茶碗 記述無し 天目率 茶碗率 天正10年 21 15 25 34.4% 24.6% 天正11年 19 17 28 24.7% 26.6% 天正12年 1 2 14 5.9% 11.8% 松屋会記…

天王寺屋会記における天目と茶碗

天王寺屋会記で、天目と茶碗をカウントする。 年 天目 茶碗 宗達:天文18年 21 3 宗及:永禄9年 13 5 宗及:天正10年 21 15 判りにくいのでパーセントに。 年 天目 茶碗 宗達:天文18年 87.5% 12.5% 宗及:永禄9年 72.2% 27.8% 宗及:天正10年 58.3% 41.7% …

天王寺屋会記における釣釜

続いて炉/風炉について。炉と風炉×釣りと五徳他の組合せでカウント。「台子に○○釜」は風炉の五徳他とカウント。「○○釜と板」も同様。 「手取り釜」は原則炉の釣りでカウント。 年 炉:釣り 炉:五徳他 風炉:釣り 風炉:五徳他 宗達:天文18年 12 8 0 6 宗…

天王寺屋会記における床の趣向

天王寺屋会記のサンプリング調査。宗達会記の初期天文18年(1549年)と、宗及会記の初期永禄9年(1566年)、宗及会記の(ぎりぎり趣味的な)最後の方、天正10年(1582年)の茶会記をカウントした。カウント対象は「床に何が飾ってあるか」。 年 花 茶壷 絵 墨蹟 和歌…

天王寺屋会記における五徳の蓋置

本当は天正13年以降の、引切の流行で松屋会記と天王寺屋会記の比較をしてみたいのだが、収録範囲的に無理。なので、永禄の五徳の蓋置で比較してみる。天王寺屋会記津田宗達茶会記に五徳の蓋置が出てくるのは永禄2年、12月21日の宗好の会。天王寺屋会記津田宗…

天王寺屋会記のIF

もし天王寺屋会記の記述が、天正13年以降も続いていたらどうだっただろうか?天正11年から13年の会記の客振りを見る。 年 会数 秀吉 武将 町人 天正11年 55会 18% 13% 69% 天正12年 17会 41% 6% 53% 天正13年 14会 50% 21% 29% 宗及の交遊は 数自体右肩下が…

趣味どきっ 茶の湯表千家はじめて楽しむ茶の湯8

最終回。当然中立〜後座の話。亭主の後座の準備。軸を巻取って、花を飾る。あれ?花所望はどこへ?亭主の鐘の合図で…うんこずわり。なんでなんだろうなぁ…。亭主が濃茶を練って、出す。客が飲む。 ツボツボの出服紗がちょっと厭らしい。茶碗と出服紗を畳に置…

松屋会記と天王寺屋他会記

松屋会記と天王寺屋他会記は、二大「統計を取りたい」茶会記である。 だが、一長一短なんだよなぁ。 松屋会記は、極めて長い期間をカバーする茶会記である。でも、利休絶頂期の「堺の茶の湯」が記録されていない。 天王寺屋の宗及他会記は、堺の茶の湯が記録…

松屋会記に見る土引切

天正年代後半から引切ブームがはじまるわけだが、その初頭数年に「土引切」というのが出てくる。出現率ではこんな感じ。 年 引切 土引切 天正10年 00.0% 00.0% 天正11年 00.0% 00.0% 天正12年 16.7% 11.1% 天正13年 25.0% 37.5% 天正14年 61.1% 11.1% 天正15…

松屋会記に見る蓋置の流行

さて、昨日の話、少しだけブレイクダウンする。久政他会記にみる五徳と引切蓋置に関して、地域を奈良に絞ってみる。久政他会記にみる五徳蓋置: 和暦 西暦 奈良 永禄 1558-1570 26.5% 天正1 1573-1582 25.0% 天正2 1582-1593 12.0% 久政他会記にみる引切蓋置…

松屋会記に見る五徳の蓋置

さて、一時期猛威?を振るった五徳の蓋置。 この流行に関して見てみよう。久政他会記: 和暦 西暦 蓋置 全会数 パーセンテージ 天文 1533-1555 1 28 3.57% 弘治 1555-1558 3 33 9.09% 永禄 1558-1570 25 110 22.72% 元亀 1570-1573 0 20 0% 天正1 1573-1582 …

松屋会記に見る「炉と五徳」

昨日の「風炉に釣釜」の逆パターン。 「炉五徳スヘテ」という表記に関して。久政他会記: 和暦 西暦 五徳据 全会数 パーセンテージ 天文 1533-1555 0 28 0% 弘治 1555-1558 0 33 0% 永禄 1558-1570 1 110 0.9% 元亀 1570-1573 2 20 10% 天正1 1573-1582 3 10…

松屋会記に見る風炉の釣釜

風炉に釣釜の茶の湯。久政他会記: 和暦 西暦 釣釜 全会数 パーセンテージ 天文 1533-1555 1 28 3.57% 弘治 1555-1558 1 33 3.03% 永禄 1558-1570 4 110 3.63% 元亀 1570-1573 0 20 0% 天正1 1573-1582 1 102 0.98% 天正2 1582-1593 0 91 0% 文禄 1593-1596 …

趣味どきっ 茶の湯表千家はじめて楽しむ茶の湯7

本シリーズの最後を締める正午の茶事の前編。 当然初座の部分。寄付トークからスタート。ヌッキーが疲れ切った顔になっているのが気になる。 疲れ切った顔というか、フォレストガンプ的虚ろ顔。一期一会の体現ってことだとろうか? 腰掛→つくばいの音→迎付→…

松屋会記に見る茶壷飾り

昨日に続き、松屋会記の分析。茶壷飾りはどうだろうか?久政他会記: 和暦 西暦 茶壷 全会数 パーセンテージ 天文 1533-1555 1 28 3.57% 弘治 1555-1558 2 33 6.06% 永禄 1558-1570 8 110 7.27% 元亀 1570-1573 1 20 5% 天正1 1573-1582 3 102 2.94% 天正2 1…

松屋会記に見る香炉の茶

永島福太郎には「写本しかないからダメ」といわれた松屋会記。 でも、松屋会記以外に、室町から江戸という長期間にわたる茶会記は存在しないんだよな。期間が長い故に、松屋会記からは茶の湯の流行を読み取ることができるのだ。 ということで久政と久好の他…

義政と秀吉

「足利義政が、東山銀閣寺で茶の湯をはじめた。その宗匠として珠光を招いた」という話は、どこまで遡れるのだろうか?私の知る限りは、山上宗二記が最古なのだが。もし、それ以前にはこの話がなかったとしたらどうだろうか?つまり、利休たちが作ってひろめ…

人治と法治

利休の賜死に関しては、石田三成との対立が世にいわれるところである。「公儀のことは秀長に、内々のことは宗易に」というもやっとした人治主義に対し、性格のきっちりした三成が対立し、庇護者でもある秀長の死をきっかけに、対立が表面化。結果利休は死ぬ…

設問

以下の様なテーゼがあったとする。 茶道には人生に大切なことが詰まっている。でもほとんどの人がそれに気づいていないんだ 問:茶道で学べる「人生に大切なこと」とはなにか?

茶道文化論集37 三千石

昔、「利休が秀吉から三千石もらってたってホント?」という疑問について書いた。 http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20150522 今井宗久、津田宗及および千利休は三宗匠といわれ、それぞれ三千石を給せられたといわれる。 本書の著者も疑問だったようだ。 …

趣味どきっ 茶の湯表千家はじめて楽しむ茶の湯6

炭点前の話。着流し片ばさみの亭主のにじりターンにびびる。 裾を直す所作とかが映ってないが、しないんだろうか?炭を手→火箸でつぐ。ここは特に疑問なし。炭所望の映像は、底取りをしていたのが面白かった。 やはり表千家でも畳で揃え箸するのか…。 しかし…

茶道文化論集36 茶堂

利休時代、茶湯の専門家を茶湯者と呼んだ。 (略) さらに、『山上宗二記』には、「関白様へ被召置当代ノ茶湯者」として、田中宗易、今井宗久、津田宗及、山上宗二、重宗甫、住吉屋宗無、万代屋宗安。田中紹安(道安の初名)の八人が掲げられている。 ということ…

茶道文化論集35 茶会と墨蹟

茶数寄では掛物が第一の道具とされ、しかも掛物では墨蹟がもっとも尊重される。 (略) 利休茶道伝書の『山上宗二記』に説かれ、また利休茶道の集大成という『南方録』に縷説されたので、広く流布普及した説である。 しかし、そうではなかったんでは?と著者は…

茶道文化論集34 開山墨蹟

文明十二年(一四八九)七月二日、東山山荘の足利義政は、同朋衆調阿弥に案内させて御持仏堂(東求堂)を見分した。その北の間には「開山国師墨蹟一対」が調阿弥の手で掛けられていたといわれる。 (略) 当代、五山禅林で開山国師といえば、夢窓国師と理解された…

茶道文化論集33 茶頭

時は移る。利休亡きあと、織部は茶湯の名人と称される。 秀吉の死去(一五九八)の前後である。 (略) そこで、織部の茶湯三昧がはじまり、名人の称も得たが、武家に茶湯三昧が許される時流ではない。 関が原役(一六〇〇)、徳川幕府開府(一六〇三)と政局は動い…

茶道文化論集32 松屋の衰退

松屋三名物は、幕末に松屋から手離された。 幸いにも松屋肩衝が根津美術館の所蔵となって現存するが、鷺絵と存星盆の両種は散逸してしまった。 ということで、松屋肩衝の流出について。 松屋肩衝は幕末に大坂の道具商に渡った。 いろいろと経路が説かれるが…

趣味どきっ 茶の湯表千家はじめて楽しむ茶の湯5

床の間2回目、季節感の象徴、お花の話。 まず花の選び方。でも「花の向き葉全体の長さ」というのは漠然としすぎ。 「生けてある花をよく見て、こうすればいいのか」という経験則の話は判る。そして禁花の話。においが強い、忌み嫌われる、季節感がない等。ま…