2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧
大谷光瑞/大乗社/1935年。「猊下、猊下、げ、いか」の大谷光瑞(違う)。その全集の、趣味人的な部分を集めたのがこの本。内容的には食と花と陶器のお話。残念ながらダイレクトに茶の湯の話はない。 食のお話。猊下はラディカルで、すんごい食通っぷりを見せて…
私の祖母は、ボケるまでは結構ヘビースモーカーで、煙管を使って煙草を吸っていた。だから私は、子供の頃に煙管を使っている光景を結構見ている筈なんだ。…でも、煙草盆と煙管の使い方が全然判らない。 煙草入れから煙草を取って煙管に詰めて火入にかざして…
この前、なじみの銘酒居酒屋に行ったのだが煙草の煙が大変臭かった。分煙できていない店にも問題はあるものの、日本酒という嗜好品を楽しんでいる時に、同時に煙草と言う別の嗜好品を楽しもう、という人の気持ちが全く判らない。…まぁ、4X年の人生で、一度も…
本書の利休の項は、まぁ伝承通りと言っていいだろう。 …昨日の紹鴎のエピソードに持っていかれた為、南坊宗啓との関係は全然載っていないが。ちょっと面白いのは利休百首のこと。ここには利休百首が94個ならんでいるが、少なくとも以下の8つはメジャーな利休…
光悦のお話。 彼は京都の北、鷹ヶ峰に住み、隠遁的生活を送つた。 (中略) 鷹ヶ峰では、家財道具はすつかり、京の一門に贈り、やつと衣食を支ふべきものを遺し置き、其れで自分は牛に炭薪を負わせて、京都に賣りに行き、下賎の姿に身をおとしつゝ、静かに茶の…
本書の語る紹鴎の話、ほとんどは通説通りで「フツー」。しかし、最後の部分がちょっとアレ。 堺南宗寺の住職は茶に就て紹鴎の師であつたが、左の文は、和尚が紹鴎にあたへたものである。一、賓客腰掛けに來り揃はゞ、板をうちて案内を報ずべし(腰掛けとは待…
永昌坊止樂と號して、京都四條東洞院に住してゐた。 山名氏の家來で、家貧しうして而して風雅の心ふかく、茶をばたゞ、所謂清貧のうちに晏如としてゐたのである。 (中略) 一生涯貧に安んじ、富にへつらはず、世に時めける人達ちの己れを召すのをも悉く斥け、…
大阪市立東洋陶磁美術館「碧緑の華・明代龍泉窯青磁−大窯楓洞岩窯址発掘成果展」。発掘ものなので、ぶっちゃけできそこないの青磁をいろいろ見ることになる。 でも、できそこないだけに様々な表情を見せてくれていて、結構楽しめる。官窯と民窯の実力差の隔…
タイトル通り、尾形乾山を中心にした茶道具展。ここでは尾形乾山(初代)は、ややこしさを避ける為か「尾形深省」名義での展示。 なんでかは説明無かったな…。入口近くで目を惹くのは「銹絵染付絵替 筒向付」。ガラスコップみたいな細長い形状の向付なのだが、…
今回のテーマは藤田家としての蒐集ではなく、藤田傳三郎の蒐集にテーマを絞ったもの。 …でも、トーシロの僕等には区別できないよね?藤田家側は判ってほしいのか判らんけど。 さて。 茶道具に限らない展示いろいろの今回。 でもやっぱ茶道具が凄い、という印…
田部美術館の企画展示は、実に小さな部屋に道具組が一揃い置かれているだけなのだが、大変にセンスがよく楽しめる。大変立派な光悦の和歌散らし書きの懐紙。花入は古楽山焼の立鼓形だが、筋目が刻んであるのが変わっている。茶入は瀬戸落穂手「田面」。土見…
松本珠報について。珠報の伝記記事って珍しい。 永昌坊止樂と號して、京都四條東洞院に住してゐた。 山名氏の家來で、家貧しうして而して風雅の心ふかく、茶をばたゞ、所謂清貧のうちに晏如としてゐたのである。 (中略) 一生涯貧に安んじ、富にへつらはず、…
村田珠光。これ程の有名人物であれば、口伝秘伝だろうが歴史的研究だろうが、さほどの違いは無い筈。そんな風に考えていた時期が俺にもありました。 本書では、珠光の伝記は通説にそった形…つまり一休に参禅し、お茶に目覚め、足利義政に東山に呼ばれた男と…
樋口傳/書畫骨董雑誌社/1912年。 明治末に書かれた茶人の伝記。序文より: 茶の流行する事、恐らくは今日の如きはあるまい、やれ何々流宗匠、やれ何々流家元と、猫も杓子も門戸を張り、表札をかけて、俗衆を喚び、聲名射利に日も之れ啻ならざる有様である。 …
私の中で、骨董屋は二つに分類されている。古道具屋と茶道具屋である。 扱う道具に関し、来歴を大事にし、ちゃんと茶の文脈で道具を置いているのが「茶道具屋」。来歴をあんまり大事にしないで、唐突に道具を置いているのが「古道具屋」。 あ、割とローエン…
伏見六地蔵の遠州殿屋敷の花畠に、私が茶席を作って茶湯をした頃、松平下総守殿(忠明)が遠州殿の茶会がおいでになったことがあります。 (中略) 「それでは権大輔の茶会へでかけましょう」 その後、大坂の遠州殿のお屋敷のあたりに、寂びた家を作り、菓子の茶…
道具には四畳半の置き合わせと、三畳敷の置き合わせがありました。 利休からは一畳台目の置き合わせがはじまりました。 …意味が判らない。台目が違うのはまだ想像つかないでもないが、四畳半と三畳敷でどういう置き合わせの違いがあるのだろう?私の認識では…
珠光は南都の人で、眉間寺のあたりに屋敷があったといわれます。 クボゴンの、珠光に対する知識は、なんか浅い。 古市播州は、これも珠光の弟子で、よろずの名人だったと伝えられます。 古市播磨に対しても、いまいち。 クボゴンの生誕と、珠光播州の晩年と…
「台子は道の秘伝」と久保権大輔は言う。茶の湯が東山で発生し、台子飾りもそこで発生したものであれば、初期茶道は本来台子を使って行うものだった筈だ。みんながしている事なら、秘伝でもなんでもない。だが、実際には「台子は道の秘伝」みたいになってい…
大坂で、秀吉公が桑山法印の屋敷へ御成になった時、千道安が来て台子飾りを準備しました。 薩摩屋道七が挨拶に来て、その台子を見て「何者がこのような無知なことをしたのだ」と散々に言い、すぐに飾り直しました。 (中略) その仕方を知る人に密かに尋ねてみ…
神津朝夫/淡交社/2011年。神津先生の“長闇堂記・茶道四祖伝書(抄)”が出たので、長闇堂記を読んで行く。 茶道古典全集にも載っているのだが、いまいち読みづらく敬遠していたのはナイショ。さて。 長闇堂クボゴンは、僕等よりよっぽど利休の時代に近いトコに…
懐石の出し方で気になっている事その2。四畳半の貴人畳は、本来客に座って頂ける席なのだろうか? 四畳半の道具畳には水指が置かれていて、通行不可である。 四畳半の炉畳は、本来足を踏み入れて良いゾーンではない。 客畳に通いが足を踏み入れる事はできな…
私は、部屋の大きさ的に二畳中板の部屋しかできないな、と常々思って来た。んで、中板には炉を切りたいな、と思って来た。…でも断念せねばならないかもしれない。 下の図を見て欲しい。二畳中板の部屋に、三人の客が座っていた場合の話である。左のが私が思…
若い頃、歌人を志した紹鴎。その詳細を武野紹鴎研究では三條實隆の日記からあきらかにしてくれている。 實隆はその日乗に、「竹野」と書いて、暫く戸惑つてゐる。 新五郎といふ名も既に忘却してゐた。 (中略) 紹鴎が二度目に、それは五月六日であるが、實隆…
藤田登太郎 茶陶展のついで?に行った畠山美術館。伊賀花入 銘“からたち”。 紋付袴で上野駅に迎えに行った、というエピソードが面白い。赤楽茶碗“早船”。 長次郎作でないという説もあるらしいが、そういう目で見ると、作行が違うような気がしないでもない。…
11/2のコメント欄で、三足の道具の足は、2本を正面にするか、1本を正面にするか、日本と中国では違うんじゃないか?という話が交わされている。http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20111102/1320185900#cでは愚見を。 さて、中国で、青銅器の三足と言えば鼎…
畠山美術館の明月軒/翠庵を使って行われる藤田先生の茶陶展。志野の茶碗をいろいろ手に取って拝見させていただける、稀有な機会。今回面白かったのは“若柳”。 薄く鉄で柳の絵が横に描かれていて、柚子肌の様になった釉薬が、まるで降り注ぐ雨の様。“熱田津”…
山上宗二記に以下の記述がある。 珠光小茄子 信長公御最後時火ニ入同失申、 カントウノ袋ニ、四方盆ニ居ル、 此壺珠光所持後播州ヘ渡ル、 (中略) 従本願寺三千七百貫ニ宗瓦取、宗瓦ヨリ信長公ヘ上、 (後略) 珠光小茄子は本願寺から宗瓦が3700貫で購入し、信…
なんか油断してたら、この秋は一般美術館での茶道具展だらけなのな。この中では岩出市民俗資料館が気になる。 あと、紅葉の木村茶道美術館はとっても綺麗だろうな…。 東京近郊 期間 タイトル 備考 三井記念美術館 -11/13 華麗なる京蒔絵 三井家と象彦漆器 ? …
紹鴎の息子、武野宗瓦。紹鴎の婿である今井宗久を後見に成長したが、宗久に「親父の道具を返せ」と裁判を起こしたが、信長への付け届けをしなかったので財産を失った人である。 そして又、茶道界の指導者達の宗瓦への厚遇と宗瓦の増長は、同世代の特に利休門…