2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧
Discovery Museumの細川家珠玉の名碗。長次郎や禾目天目の陳列に、さらっと御当代混じって来るなよ。 空気読めよ。無理な立候補が芸風になったのか? 東京近郊 期間 タイトル 備考 畠山記念館 4/5-6/15 茶道美術の玉手箱 根津美術館 -4/6 清麿 花時の茶事 Di…
天正十二年(一五八四)五月十二日、津田宗及は久方ぶりに山上宗二の茶会に出向いた。 相客は宗無ひとり。宗及はこのとき、宗二の茶具についていっさい書き留めなかった。 宗及が茶具についてなにも書かないのは珍しくないが「浪人已後也」つまり浪人してから…
冒頭は今井宗久の紹介と、その茶会記について。 宗久の茶会記は、現在、静嘉堂文庫に蔵されるものが、今のところ現存する唯一のものとみなしてよいだろう。 しかし、宗久の茶会記は、宗及のそれとは異なり、量的にもはるかに貧弱であるし、なによりも江戸時…
谷晃/河原書店/1995年。谷晃は現代の茶道研究家として、熊倉功夫二大巨頭である、と思う。 熊倉功夫はいろいろ監修するばっかで本人あんまり何も考えていない気がするし、そもそも茶の湯を愛していないんじゃないかとも思える。 それに対し谷晃からはあふれ…
最終回は茶事とは聞いていたが、寺の茶事とは珍しい。しかも尼寺。うっしーの紫の色無地が、「寺の茶事」感を演出しているのだろうか。 利休井戸の説明「この水で秀吉に茶を振る舞ったといいます」…茶堂風情がえらい上から目線やないの。 そしてすごい勢いで…
ちょっと前、日本の茶輸出は自らが行った不正茶(着色や混ぜ物)の為に亡びたという話を載せた。 http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20140113その詳細がここには書かれている。 すなわち茶の大部分は、横浜や神戸の外商をつうじて売られていたのである。 外商…
ところが、茶に砂糖を入れる飲み方は、イギリス独特の飲み方である。 イギリスにおいて茶がくすりではなく、飲料として愛飲されるようになったきっかけが、ポルトガルから嫁いできたキャサリン王妃であったことはさきにのべた。 ところがキャサリンが船に乗…
藤田さんとこの「序章」というだけのことはある。ほかは藤田さんの多彩なコレクションからいろいろ出てきた、という感じか。 いつもの茶道具展のつもりでいくと肩透かしかも。 まずは曜変天目茶碗。 いつもの…そして究極の茶碗である。 そして白縁油滴天目鉢…
タイトルはこうあるものの、展示トータルから受ける印象は「激動期の茶の湯」というより、「コンディションのよい綺麗な茶道具達」でしかないのが料亭である湯木さんとこの限界かもしれない。 少庵の竹一重切花入。すごい存在感。御所丸茶碗「由貴」。 なん…
日本の茶の湯文化の伝播について。 オランダの探検家で地理学者であったリンスホーテンは一五九六年、『東方案内記』を書いている。 (略) このチャと称する薬草の、ある種の粉で調味した熱湯、これは非常に尊ばれ、財力があり、地位のあるものはみな、この茶…
角山栄/中央公論新社/1980年。主に西洋と茶のかかわりを書いた一冊。 そういう意味では「世界史」というのはふさわしくない気がするが、80年代はまだそういうのが「世界史」だったのだ、と納得するしかないかもしれない。プロローグより: 彼らが日本で発見…
利休百首。せっかく百首も有るんだから、カルタ化すればいいんじゃないだろうか。教育効果も高い…かもしれないしそうでないかもしれない。 問題点は二つ。 一つは、音読があまり考慮されていなく、語呂が悪くて読みづらいこと。口に出して読み上げてみればわ…
茶道古典全集第十巻収録。 茶道教諭百首詠に同時収録された、紹鴎茶湯百首から。 棗にて濃茶を立つはいつとても蓋する時は服紗にてふけ 小棗の濃茶、やったこと無いな。 お茶を汲んで、蓋をするときに棗拭いてたら茶碗が冷めちゃうと思うのだが。 我呑しすゝ…
オープニングでお茶を点てていたコワモテのお兄ちゃん、柄杓持つ手がぶるぶるし過ぎ。 今回の濃茶の道具は置き合わせ済み。「水指と茶入はあらかじめ置き合わせておきます」なぜここでは水指と茶入が置き合わせになっていて、薄茶の時は運びだったのか。 疑…
茶道古典全集第十巻収録。 「利休道歌に学ぶ」に無い句を二句、チョイスしてみた。 夏なれと湯のたきらすは蓋〆てなと誤りになりやせましを 「夏だといって湯が湧かないなら蓋を閉めてしまうのは間違いになるでしょうか?なりません」かな? 兼ねてより約束…
百首扇 一手前たつるうちには善悪と有無の心のわかちをも知る 宗鳳本 一手前たつるうちにも善悪のわかちを知れよ有無の心を解 この歌も後世改悪の見本である。 一点前をする間に善悪の心や有無の心を知る事が出来る筈もなく、それを知って何の益が有るであろ…
百首扇 釣舟はくさりの長さ床により出船入船うき船としれ (略)解 釣舟の飾り方の教歌であることはご覧の通りであるが、出船、入船のことは千家流にない事なのである。 又茶道の根本から言っても無いのが当然と思う。 おそらく諸流にも少ない事であろうが、案…
百首扇 うす板は床の大小また花や花生によりかわるしなしな (略) 本項の読みどころは、句の解釈ではない。 木地の薄板を使う事への批判にある。 ついでながら近頃良く見かける品に木地の蛤羽の薄板が有る。 木地は塗に仕上げる前の品の姿で、いわば未完成の…
百首扇 名物の茶碗出てたる茶の湯には少し心得かはるとぞしる(略) 近頃は大衆茶会の永教で茶の湯の折でもよく「おすすぎを」等と言われたり、又詰の人が一心に紙で中を拭いているのを見掛けるが、こうした事が当然の所さとなると名物のあしらい等の心得は失…
炭手前をやるのは珍しい!とwktkして待機。炭斗にどういう炭をどの順に入れるのか「使いやすい順番に入れます」じゃ解説になんないんだけどなー。 でも相撲取り系のお手前さん?が炭をねっぷりじっくり炭を継いでくれて実に良かった。 ただ、「続いて灰器を…
百首扇 柄杓にて湯をくむ時の習には三つの心得あるものぞかし (略) 三つの心得とは、第一、湯の上方をくむ時、第二、湯の中程をくむ時、第三、釜の底に柄杓を当てぬ事、この三つではなかろうか。 茶筅湯治の時は第一を、点茶の時は第二を、そして第三は常に…
百首扇 湯をくむは柄杓に心つきの輪のそこねぬように覚悟して汲む 宗鳳本 湯をくむは杓に心を月形の輪そこねなく覚悟して汲め解 この両首ともほぼ同意で、一見すると桃山時代の武将の荒々しい振舞に注意している様にも受け取れる。 しかし、再考してみると、…
百首扇 運び手前水指置くは横畳二つに割て真中に置け解 この歌は水指の置き場所についての教歌であるが、四畳半とも、台目とも指定していない。 しかし四畳半の場合は横畳の真中に(尤も習いは真中より畳目一つ、二つ客方へ寄せる)置くのは当然で、教歌で示す…
百首扇 姥口は囲炉裏ふちより六七分低くすえるそ習ひなりける (略) 尤も古人は普通の釜でも姥口の様に柄杓を置く事があったらしい。 『如心聞書』中、柄杓取扱の項に 一、炉の時は釜の前輪へうつむけて落して合を掛けるのである。 又湯の吹く事ある時は合を…
百首扇 乾きたる茶巾使はば湯をすこしこほし残してあしらふぞよき 宗鳳本 しめさざる茶巾さばきは湯をすこし翻し残してあしらふぞよき解 "しめさざる茶巾さばき"も"乾きたる茶巾"を使う事は余り聞かない。 又我々の流儀でも行わぬ様で現代では不要の教歌であ…
土肥宏全/1968年より。本書では一般の百首と青木宗鳳本の比較も行っている。 「利休道歌に学ぶ」と大きく相違する点をチョイスして行く。まずはこれ。 百首扇 手前には弱みを捨てて唯強くされど風俗卑しきを去れ (略) 解 此歌にある手前は点前のみを言うので…
利休道歌。重複や不要そうなの排除してみて、再整列させてみたぜ。総論 一首 はぢをすて人に物とひ習ふべし是ぞ上手の基なりける 点前の心がけ 六首 点前には強みばかりを思ふなよ強きは弱く軽く重かれ 何にても道具扱ふたびごとに取る手は軽く置く手重かれ …
今回は数寄屋大工の話。これは珍しくて実によろしい。京都の数寄屋大工が広島の茶室を作っているんだから、数寄屋大工ってのは日本にどんだけいるのだろうか?いいとこ数件レベルなんだろうね。 そして画面を彩る現物合わせの数々。 そりゃ「図面では表現で…
百首はこれで最後。 茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし (略) 有名な句なので特に言うこともなし。 もとよりもなきいにしへの法なれど今ぞ極る本来の法この道歌を現代語でそのまま要約してみますと「昔なかった法をいま定める」…
茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち青竹枯木あかつきの霜この歌は口切の茶事の情景を通して、茶の湯には、陰と陽との調和をうたっていると思います。 (略) まず道歌の「梅寒菊に」ですが、口切の茶事が行われるのが十一月という寒い「陰」の時候にもかかわらず、…