2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧
富山市佐藤記念美術館の「佐藤コレクションと茶の湯の道具」。…の併設企画展「佐々成政の悪評を広めたのは加賀藩か?」は気になるなぁ。お茶関係ないけど。 富山の怨みが篭っておりまする。 東京近郊 期間 タイトル 備考 畠山記念館 -6/14 畠山即翁の大師会…
本書は一応茶道教室の先生になりたい人向けの本。なので施設や場所の解説が載っている。 茶の稽古を始めるに最して、いろいろ設備や準備を必要とする。 先づ第一に稽古場である。 一般家庭にあつては普通の座敷でよい。 茶席は理想のやうではあるが、四疊半…
本書は、意外に存在しない「茶道教室を開くには」本である。 茶道の理念では理窟めいたことを説いたが、お茶は樂しいものにあらしめねばならぬ、六ヶ敷く堅苦しく窮屈に感ぜしめてはいけない。 (略) 茶を樂しいものにあらしめるために、指導者はいつも豊富な…
茶を點てる要諦は呼吸である。 呼吸が亂れてはいけない、柄杓を引いて臍下丹田に心を落ちつける。 帛紗を捌く、棗を拭ふ、茶杓を拭く、茶筅をそゝぐ。 その一つ一つが静かに吐く息吸ふ息につれられる。 外觀は棗を拭き茶筅を檢べてゐるのではあるが、内觀は…
なほ菓子は菓子屋へ注文するといふのも本來は誤った考へ方で、懐石を主人自ら庖丁すべきと同様に、菓子もまた、亭主が自製するのを以つて茶の在り方とする。 菓子はなぁ。 菓子屋の若旦那でも菓子作らん位の専業性だからなぁ。 然しながら砂糖入手難の今の時…
古い茶の、知らなかった使い方について。 挽き立の茶ほど風味色合が良いが、一日置けばそれだけ色香、味ひが落ちてゆく、 果ては俗にいふネコで、茶褐色の固りとなり最早飲料には供せられない。 ネコはダマになった古いお茶のこと。まぁここまでは割と見知っ…
お茶といへばれまで随分世間から誤解されてきた。 貝原益軒だの太宰春臺だのいふ人は攻撃の急先鋒であつたが、認識不足を免れない。 いま茶道が誤解される理由の二三を検討してみよう。 よくあるお茶への批判について。でも貝原益軒ってお茶批判してたっけ?…
心のゆとりはまた婦人の中性化を防止する。 學校その他で團體生活を營む人々は、どうかすると言動が粗笨に陥り易い。 殊に職場に働く人がこの弊に流れ易いのは、女性たるが故に特別待遇のハンデキャップを與へてくれないからである。 健氣なる彼女達は多數の…
佐々木三味/寶雲舍/1946年。終戦の翌年に書かれた茶の湯の本。 佐々木三味の本は改訂され新装版が今も出ており、「あれ?佐々木三味ってまだ生きてたっけ?」と錯覚する程。でもこの本は4年後に別出版社から出て以降、再版されて以降、出てないと思う。それ…
千利休は、豊臣政権下で三千石の祿を喰んでいたという。これは75人の兵士を軍役で出さなきゃいけない石高である。 まぁ捨扶持だろうけれど。 でもこれって本当だろうか?本当ならどこの土地を領有し、代官は誰で、何か由緒あるものがその土地に残っていたり…
BS朝日でやっていた百年名家という番組の2時間スペシャル。 八嶋智人と牧瀬里穂が古いお家を拝見する、という建築系の番組みたい。100回記念で今日庵に訪問、ということだが、番組は大徳寺黄梅院からスタート。二時間もあるので尺を稼ぐみなさん。利休さんゆ…
滅後はいろいろ面白いけど、秘伝、追加あたりは面倒なだけで大して面白くなかったかな。どうせなら岐路弁疑/壷中炉談も注解入れて欲しかったけど、あれは立花実山の本であって、南坊宗啓のものでない、ということからか省略されたか。 さて、南坊録を注解読…
滅後より。 古渓和尚ハ煎茶ヲ殊ノ外好ミ玉フ、 (略) サテ和尚ノ玉フハ、我等煎茶スキ御存知ノ通也、 唐ニテハ各茶ヲ煎ジテ賞翫スルコトアリ、 日本ニテハ挽茶専ニ被用、唐ニテモ挽茶稀ニハ用ルト見ヘタレ共、日本ノ様ニハナシ、 煎茶ニテ露地入、茶湯成間敷…
入口に入ると、二つの茶臼がお出迎え。片方は南宋の唐物茶臼(野村美術館蔵)である。鎌倉の茶は宋代の禅由来抹茶喫茶文化の伝播である。そのキーアイテムが茶臼であり、本展示ポスターを堂々と飾る一品である。 …けっして「ウッス!」という挨拶でないと信じ…
空調服、というのがある。http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E7%A9%BA%E8%AA%BF%E6%9C%8D簡単に言うと、洋服に冷却ファンが仕込まれているもの、である。 …
滅後より。 此頃人々ノ道古棚ヲ見ルニ、違棚ノヤウニ段ヲカヘテ棚アリ、 利口ノ物ズキ無益ノコトナリ、 紹鴎利休ノ道古ハ一段ノ通リ棚ニテ、段ノチガヘタルハナリシナリ、 即チ利休ニアリシ古棚、今此坊ニ附置テ顯然ナリ、 年月ヲ経ルホド物事模様アルコトニ…
滅後より。 薄茶ノ時運ビ出ス茶碗ノ内、茶巾ノ仕込様ニサラシト云フコトアリ、 是ハ瀬田掃部古キ高麗ノ皿ノ如クナル茶碗所持ス、 湯水ノ取扱ヒ、茶筌スヽギ抔殊ノ外難儀ノ物ナリ、 サレ共餘リニ見事ナル一躰故秘蔵ナリ、 休ニ名ヲ附テ給ハレト申、即水海ト名…
滅後より。 休ノ云、昔隅切ノ炉迄ハ炭ヲツキタル時、客衆見物スルト云フコトハナシ、 是臺子ヨリ移リタル折柄ナレバ、臺子ニテ見物ナキ儘ニテアリケル古風ナリケルニ、 右切ノ向炉ニナリテ客ノ眼下ナル故、釜引上ゲタル時、炉中ヲ見入テ火相ニ心ヲ附ケ、扨炭…
滅後より、津田宗及の客ぶり。 或暁ニ雪ニテ面白カリケルニ、宗及フト思立テ利休ヘ参ラレタリ、 (略) 名香遠ク薫ジテ残燈幽カナリ、扨コソ蘭奢ナルベシト早利知ラレシトナリ、 及ハ香方ノ達者ナリ、 (略) 主客差向ヒ何カト物語アル内ニ、水屋ニクヽリノアク…
滅後からは、他の茶人の噂話的なものが入ってくる。 文章構成上、これ以前の章では入れられなかったものだからだ。 他の茶人の評価を書いた文に奥書を入れる利休、というのを原著者も避けたかったが故の構成だろう。 滅後、原文より: 住吉屋宗無ハ古風 真手…
南坊録「滅後」原文より: 休居士ヲ我坊ニ招請シ茶仕リシ時、五月雨ノ頃、風炉ニテ有シニ、茶ヲ茶碗ニ入レ、水指ノ蓋ハ取タレ共、天気冷ニアリケレバ、釜ヘ水差ス道理不可有ト内々思ヒシマヽ、水サヽズニ茶ヲ立タリ、茶ノ湯スミテ休散々シカリ玉ヒテ、何トテ…
「滅後」より。 臺子陰陽ノカネヲ以テ百千萬ノ飾、草茨ノ侘座敷迄此ノ法ニモルヽ事ナキ子細ハ、多年修行ノ所ナリ、 扨又侘ノ本意ハ清浄無垢ノ佛世界ヲ表シテ、此露地草庵ニ至リテハ塵芥ヲ拂却シ、 主客共ニ直心ノ交ナレバ、規矩寸法式法等アナガチニ不可云、…
南坊録「滅後」より。 南坊録は、「覚書」から「墨引」までは 利休が南坊宗啓に何か教える 南坊宗啓がそれを文書にまとめる 南坊宗啓がその文書を利休に確認してもらう 利休が文書にOKを出す という体裁を取ってきた。 それに対し、「滅後」は利休死後に南坊…
南坊録「墨引」より。原文; 勿論水指ハ如常アルベキナリ、風炉ニテ水指ナシト云フコトハ努々有間敷也。 風炉の時、水指を置かないような置き合わせはゆめゆめあってはいけないよ、と南坊録の著者は言っている。 それに対する注釈; 風炉ニテ水指ナシト云フ…
南坊録「墨引」より、曲尺割の由来。曲尺割に関しては、非常にもったいぶった伝授が利休から南坊宗啓に行われている。 その際の利休のもったい付けが以下の様なもの。 某モ道陳ニ再三問シカ共、秘事トノミ云テ傳授セズ、 紹鴎ニ尋申タレバ、道陳ハ不教ヤト仰…
南坊録の書院には興味有るネタがなかったのですっとばす。台子。 曽テ総論ニ説キシ如ク、臺子ノ始メハ文永四年南浦紹明宋ヨリ齎シ帰ヘリシヲ嚆矢トス。 其ノ後茶道ノ起コリ以来、相尋キテ数個ノ臺子舶来セシモ、其ノ寸法我国ノ畳ニ適合スル者尠ク、甚ダ不便…
南坊録の「棚」より、袋棚の 袋棚ヲ拵へたる是紹鴎に始ル。 此後置棚あまた出来候得共、袋棚に過たる棚なく、カネ萬調ひて臺子弓臺にもおとらぬ棚なり この部分の注釈。 カネ萬調ヒトハ最モ完全ナル者トノ意ニテ、袋棚ハ京間、田舎間何レノ畳ニモ調和ヲ得、…
「この茶碗の手取りは…あっつい!」 真夏日のGW。炎天下のお茶碗は、熱をはらんでとってもお熱い。帽子とペットボトル水必須。 テントに入りづらい日傘とかできないもんね。 日焼け止めもか。 今回、いつもより抹茶碗の展示が多かった気がする。…でも正直、…
南坊録の会より: 正月元日 客ナシ 四畳半ニテ大フク祝 一 牧渓寿老人 一 釜 雲龍 一 ツルベ シメ引テ 一 茶入 尻フクラ盆ニ 一 薬師堂天目臺ニ 一 花入 鶴首ニ梅 一 手ふくべニテ炭 この亭主オンリーのやや嘘臭い素敵茶事を、著者は一体どう評価したか。 此…
楽家について。 長治郎ハ楽焼ノ宗家二代ノ名工ニシテ、元祖宗慶(朝鮮人ナリ、阿米夜ト称ス、帰化シテ佐々木宗慶ト云フ)ノ二男ナリ。 兄ヲ長祐ト云フ。楽家第一代ナリ。 兄弟共ニ秀吉ノ寵ヲ受ケ、聚楽亭ノ瓦ヲ作レリ。 長治郎ハ卓絶ノ技アリ、秀吉之レニ天下…