2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

8月の展覧会

当然の夏枯れ。知ってた。そんな中徳川家名宝展は初花まで出る!けど初花は9月の限定展示の模様。 でも遅桜とか松花茶壺出る模様。 東京近郊 期間 タイトル 備考 出光美術館 -9/25 東洋・日本陶磁の至宝 畠山記念館 -9/11 茶の湯ことはじめ 根津美術館 -9/4 …

茶道の常識2

松尾宗吾の語る茶道史は、それなりに突っ込みどころがあるのだが、いちいちは突っ込まない。 ただ、この部分気になる。 居士は、幼少の頃から大變に此の道を好み、北向道陳に師事しましたが、天才に加ふるに研究の結果は師匠道陳をして「與四郎の茶道、吾れ…

灰洗い

裏千家東京道場前の駐車場。大量の灰が干されていた。 #写真は人の写っていない部分をトリミングしたので半分。あんだけの道場だと炉の数も凄いんだろうな。「楽しい祭り」って感じではないが、夏の風物詩的な感じではある。

茶道の常識

松尾宗吾/松蔭會/1933年。昭和8年に松尾流の家元、不染斎が書いた茶の湯の入門?書。以下が序文の先頭。 利休居士の茶道吾茶道の祖師であります千の利休居士につきまして何か御話を致す樣にとの御所望を受けましたのでございますが、しかし私は若年者で目下…

着こなし

この前、町中で着物を来た男性に遭遇した。アンサンブルをすっきり着てるんだけど、足元は皮ブーツ。まだここまでは普通の範囲。 びっくりしたのは帯を前締めして、ちょっと斜めにして羽織から結び目をチラ見せしていたこと。痩せた男だと腰回り貧相になるし…

数寄者

対談を読んで思った。小田栄一氏はもうお亡くなりになった。 林屋晴三氏は御存命だが、中村昌生氏ともどもご高齢だ。筒井紘一さん、谷晃さんも結構なお年。このあたりの方々が居なくなったら、流儀の外で語れる、数寄者と呼べる人がすっかり居なくなってしま…

茶道具の用と美23

楽さんの、写しに関する考え方。 楽 写しというものがありますね。長次郎の写しとか。自分なんか、まずそれを造形的に勉強するということはあり得るけれども、少なくとも自分が長次郎の「無一物」を写すなんていうのは、何というのかな、まずとんでもなく隔…

茶道具の用と美22

芸術家楽さんの長い長いコメントを要約。 楽 「新しい茶の造形」というところで考える場合、いま、何が足らないかというと、やっぱり空間、建築ですよね。 伊住 そう思いますね。 楽 新しいものを使っても、古いものを使っても、高麗茶碗を出して、次のとき…

茶道具の用と美21

伊住 いずれにしても、いま主流になっている大寄せの茶会というものが、まだ完成していないと思いますね。 林屋(晴三)先生もいまの大寄せというのは完成していないというふうに言われてますよね。 三田 ええ、それはそう思いますね。 伊住 いまの大寄せの茶…

茶道具の用と美20

楽 最近、発掘なんかでいろんなものが出てきますでしょう。そういうのを見ていると、これは少なくとも利休さんとかかわりなかっただろう、利休さんは使わなかっただろうというような、もっともっと下手なものがガサガサ出てきますよね。そうするとそういう意…

茶道具の用と美19

最後の第3部は伊住政和、樂吉左衞門、三田富子の対談。 七三分けの樂さんの写真がなんか違和感。人は23年でこんなになるのか…。 三田 だから、結局はそれ以上越えるものではなくても、現代の人の心にピッタシ残っていくものが出来ないのでしょうね。ただ桃山…

茶道具の用と美18

三田 松井先生、写しものってよく言いますよね。このごろは何でも写し、写しと言いますけど、全く本歌を見てないから、その写しと言って売っているものをそうだと思っていますけど、本歌を見たら大分違うみたいですね。 松井 そうそう。 あーーー…佐々木昭楽…

茶道具の用と美17

三田 伝統工芸展で今度も釜がいろいろ出ていましたけども、使うというふうになったらこれはどうかなと思うようなものがありますね。 中村 釜はむずかしいですね。 松井 むずかしいですね。 三田 だから、つい、全くの写しでなくても古い形の、「これならば」…

茶道具の用と美16

中村 棚のデザインというのは、これ宗匠にしかできません。作り手が考えてするものではないのです。あれは点前の最も基盤になる部分ですね。ですから、大きさとか、高さとか、ここへ何を載せるとか、そういうことはお茶の宗匠の使い勝手から生まれる意匠とい…

茶道具の用と美15

三田 それはいま、これから新しくつくっている方にぜひ知っていただきたいことで、何でも柄があればいいというような形で、このごろのを見ますと、椿がバーンと真中に、頭のてっぺんについていたり、派手派手しい色で何だかわからない花がボーンと載ったりし…

茶道具の用と美14

中村 (略)それまでは表向き大体蒔絵のものが多くて、常のものは黒とか朱でしたけど、そういう塗りというものに目を向けて、塗物の形や艶や色の表情というものをはっきり美しいものとしてとらえたのはお茶の世界だと思いますね。だから、初めは絵はあんまりな…

茶道具の用と美13

三田 松井先生、宗哲の棗に合わすお茶碗となったら何でしょうか、実際に合わせたことがないのですが。 中村 いや、お茶碗に棗を合わせていただいているのと違いますか。 松井 いや、やっぱりそれは茶器が上ですからね。結局、宗哲さんの棗の横へいく茶碗。こ…

茶道具の用と美12

三田 東京には喜三郎という塗師がおりまして、喜三郎の前に亡くなった叔父さんになるのですかね、その方のお椀というのは、押えるとお椀がヒュッと曲がるんですね。あんまり薄過ぎてね。おそれでいつだったでしょうか。引盃をふいた方がいぎってしまった。あ…

茶道具の用と美11

三田 以前、貴人清次のお茶事をいたしましたときに、金塗のお椀を、下の糸底をこう持つのに、そのお椀が浅くて、この糸底が浅くて持てないですよね。その時に鈴木宗保先生が「宗哲のお椀ならちゃんと持てる」とおっしゃったんですよね。やっぱり見たこともな…

茶道具の用と美10

三田 ですけども、代々というのはすごい力があるんものだなぁと思って感心いたしました。 中村 生まれたときからその中で暮らしていますと、どういうふうにして物ができていくかということを幼な心にも何か受けとめているんでしょうかしらね。 みんなが家業…

茶道具の用と美9

中村宗哲(先代)、松井宗新(業躰)、三田富子(ライター)の対談。利休形棗に関して。 中村 あれは手の内に入る大きさですね。 松井 特に棗の持ち方が変わるでしょう。横からでなく、上から半月に持つとかよく言われているように。となると、いまの大棗が男子な…

茶道具の用と美8

二人の茶道論。 林屋 (略)お茶の世界にとって重要なのは好奇心というものですよ。だから、好奇心を起こさないようなお茶を、いま、一般にしているんですよ。点前至上主義でね。点前では好奇心が起きないよ。縮こまるだけだよ、本当に。むしろ好奇心を抑えよ…

茶道具の用と美7

林屋 さあ、これは人によってまちまちだろうけども、私は数寄道具というのは、乾山で終わりだと思っている。ほかはみんな完璧にコピー文化です。だから、数寄という言葉を使った器、道具というものを生み出せるものを持っていた時代は乾山まで。あえて限定す…

茶道具の用と美6

林屋 小間には向かないけれども、やっぱり茶の世界が伝えた絵で私が最もいいなあと思うのは牧渓の「漁村夕照」ですね。 (略) 小田 あれは年の暮れにあんなものでお茶をしたらどんな気持ちだろうと思いますね。何か鐘が聞こえてくるような気がしてね。 林屋 …

茶道具の用と美5

林屋 ここに「名品に学ぶ」というテーマが編集部からきていますけど、現代において世界の誰にも通じる名品中の名品の一つとして、やっぱり曜変の「稲葉天目」、そして青磁の「馬蝗絆」というものは動かしようがないでしょうね。 曜変天目と青磁の美しさは、…

茶道具の用と美4

林屋 そうです。そういった意味で、焼物の研究というものは、窯跡の物原の発掘調査を踏まえないと本当のことは絶対言えないな。 小田 まだ私が非常にひっかかっているのは、 朝倉屋敷の跡から魚屋や蕎麦が出てきたとおっしゃっているんですが、どもそこのと…

茶道具の用と美3

ディレクターとプロデューサーの話。 林屋 (略)だから、いまの千家十職がございますね。じゃ、千家十職のパトロンは千家の宗匠ではないわけですよ。 小田 遠州の場合だって、祥瑞をあんなふうに注文ができたというのは、後ろに前田家がいたからであってね。…

茶道具の用と美2

林屋晴三と小田栄一の続き。 林屋 そうそう。それは鴻池道億が本長次郎とそうでないものという吟味をしているのですが、非常に卓見じゃないですか。宗旦さんが全部、長次郎、長二郎と書いておられるわけですよ。その中で、やっぱりどうもおかしいぞと、そう…

茶道具の用と美

淡交社/1992年。 茶道具に関する対談を三つ集めた本。第一章は林屋晴三と小田栄一。いきなり濃いメンツ。 林屋 (略)利休における数寄道具の最たるもの、これはまた同じことを言いますけど、私はいま裏千家にある尺八だと思っているんですよ。 小田 あの尺八…

茶聖

山上宗二に「茶聖」という称号を与えるのは、なかなかできないことである。「茶聖」とか呼ばれて出てきそうなのは、普通千利休か、村田珠光か、せいぜい千宗旦ぐらいであろう。利休は茶の湯中興の祖であり、珠光は茶の湯の祖である。 宗旦には世俗を拒んだと…