2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

9月の展覧会

秋の展示シーズンが来ました。 三井は行くとして、茶道資料館が気になります。 名護屋城博物館は気にならなくもないけど、行く機会がなー。 東京近郊 期間 タイトル 備考 三井記念美術館 9/10-11/24 国宝「卯花墻」と桃山の名陶 出光美術館 9/21-11/4 仙涯と…

茶道爐邊夜話16 用

茶の湯では、盛んに用(はたらき)といふ言葉を使ひ、學者はこれを内面的實行性などと名づけて居るが、吾々が茶の湯で用といふのは、臨機應變、其の時々に最も適した方法を採用し、處置を取るのを云ふので、この用の優劣に依つて茶の湯が非凡にも平凡にも、或…

茶道爐邊夜話15 圓能齋の功勞

町毎に茶の湯教授の看板の見られ、妙齢の婦人は申迄もなく、腰辨のサラリーマンも茶を知らぬと人前にも出られないといふ程、茶の湯は盛んになり、最早日本人の常識の域に達して居る有樣である。 昭和初期の茶の湯の状況。いくらなんでもちょっと盛り過ぎな気…

茶道爐邊夜話14 無秩序の茶の湯

著者は、大寄せの酷さを嘆く。 近頃の公開の茶席の有樣を見ると、これが禮儀作法の嚴格な茶の湯を習ふ人々の行動かと驚く。 (中略)近來公開の釜が掛ると、全く情けなくなるやうな情景が至る處に展開して居る。 茶の湯は、至つて静淑なものと聞いて居るが、こ…

茶道爐邊夜話13 後段付の茶事

關西地方によく行はれる、後段付の茶事に就いて、關東の茶人は盛んに批難するが、嚴正な意味に於ける茶事として見る場合には、後段付の茶事は不都合であるかもしれない。 鈍翁や箒庵等の関東の茶人の嫌った後段付きの茶事。 関西の茶事の特徴だったというそ…

茶道爐邊夜話12 清新な茶の湯

侘の極致、名殘の茶事は、道具の目利、手前の習練は申迄もなく、世の中の酸いも甘いも知り盡し人間として完成された人が催してこそ、謂所一期一會の後世に範を垂れるに足るものを催し得るので、普通人には一寸困難な題目ではあるまいか。 名残の茶事は、老人…

茶道爐邊夜話11 現代人の茶の湯

現代教育を受けた若い知識階級の間に、茶の湯を習ひ、茶事を催し度いと云ふ傾向はあるが、現在の自分の經濟状態では、道具が餘りに高價で、到底手が出ないから、殘念乍ら茶に手を染めないといふのが實情らしい。 其所で私は周圍に居る數人の知識階級に勧め、…

茶道爐邊夜話10 茶の大衆化

近年茶道大衆化が叫ばれて居るにも拘らず、實際上それが行はれて居ないのは、何に起因するかを考へると、それには二つの理由があると思はれる。 第一は現行の點茶法に匹敵する價値のある簡單な點茶法がないことで、 茶道の大衆化を阻害する要因の一つは、簡…

茶道爐邊夜話9 有産階級/中産階級/無産階級の茶の湯

「有産階級の茶の湯」より: 珠光や利休でさえ、後世世に誇る高價な茶器を所有して居るのを見ても明らかなるが如く、茶の湯は上流階級に依つて發達して來たものであるから、本當の茶は、理論上は誰でも出來るかも知れないが、事實富有階級でなくては出來ない…

茶道爐邊夜話8 結婚適齢と茶の湯

大抵の女學校では、茶儀科を設け茶の湯の作法を教授して居るが、其の時代の女學生は、嫌々乍らの時間潰で、本當に一生懸命にやつて居る者は少い。 戦前は縁談の釣書に茶の湯等の免状が必須で、学校でもお茶が必修だった。 實際彼等が抱いて居る茶の湯に對す…

茶道爐邊夜話7 茶の湯は宗教か

秦西文明崇拝の反動も手傳ひ、日本趣味の茶の湯が、非常な勢で一般に普及すると共に、茶の湯の和敬静寂*1の精神は其の影を潜め、精神修養、思想善導と結びつける人が出るやうな有樣になり、其の指導者である茶の湯の宗匠や教授は宗教家の立場になり、茶湯も…

茶道爐邊夜話6 昭和の茶

現代の茶の湯を貶す人は、茶は宗旦に歸れ、利休に歸れと盛んに論じて居るが、宗旦の閑寂な茶も結構、利休の和敬静寂を標語とした茶三昧も有難いものには相違ない。 然し南坊録を始め古文書を繙き、それを聖書の如く解釋し、現代に其の儘用ひ樣とするのは、其…

茶道爐邊夜話5 江戸と上方の茶

江戸の茶人は京の茶は成つて居ないと評し、上方の茶人は江戸の茶は無茶だと云つて、お互に批難攻撃するのを常に耳にし嫌な思ひをして居るが、それ等の輩は自分等が唱える和敬の一部でも解して居るのかと疑ひ度くなる程非常識極まる言語を弄して居るのは、茶…

茶道爐邊夜話4 利休の茶に歸れ

当時の市井の茶人が見た: 近來知識階級の茶人の間に、茶は利休に歸れといふ言葉が盛んに用ひられるやうになつたのは、一寸面白い現象であると思ふ。 この歸れといふ利休の茶とは如何なるものであるかを考へるには、如何にしても利休の生立ちの概略を知る要…

茶道爐邊夜話3 利休以前の茶の湯/利休の茶の湯

規則や約束、習慣等で縛られて難しく云はれて居る事も、其の起源は存外の處や思ひ設けぬ方向にあつたり、それから轉化したものが數々ある。 然し起源が惡いから、或は他にあるとしても、現行のものが洗練され優れて居る場合には、これは何等問題にするにも足…

茶道爐邊夜話2 茶道觴濫に就いての一異論

今日の茶道は義政公の茶を重大視し、色々と理屈づけ、君台觀左右帳に記されて居る書院飾や台子飾の記事は、立派な解釋がつけられ随分難解な、局外者には何が何だか見當のつかぬものも中にはあり、これが茶に關係ある書物や雑誌などに發表されて居るが、これ…

茶道爐邊夜話

島田貞夫/鈴木書店/1937年。戦前に書かれた茶道エッセー。序にこうある。 日本文化再認識と共に、有識階級に茶道の價値が認められるに従つて、これに關する書物が次々と發刊されるのは、斯道の為めに洵に喜ばしい事である。 この際、茶道に關係して生計を立…

四つ頭

四つ頭の茶会、というのがある。 私は行ったことがない。名前から想像するが、多分、こんな感じじゃないか。 茶筅と、抹茶と湯の入った茶碗を持った僧侶が、部屋の四隅に座る。そして部屋を真っ暗にする。 一番の僧侶が壁伝いに二番の僧侶の元に歩いて行く。…

樂燒の仕方5 樂焼の作り方

最後に技術的な話。 釉薬とか箆とかの話は判らんから置いとく。粘土について: この粘土はどこに在る物でも皆宜しいかと申しますと、なかなか左樣は參りません。 粘り氣の不足して居るのもあれば多過ぎて困るのもあります、 いろいろ精製法が書いてあるのだ…

樂燒の仕方4 樂焼の起源と窯元

本書の語る樂家の歴史。 これよりすこし前、後白河天皇の朝に支那から日本へ歸化した人に飴爺宗慶と云ふ人がありました、この人は一種の陶器を發明して世に稱せられて居りました、 この宗慶の子に長祐と云ふ人があつた、父の志を繼いで燒物をする事に趣味を…

樂燒の仕方3 樂焼の楽しみ

夜見世などて面白い燒物などを見出すと愛翫置く能はぬ樣な事がまゝあります、 況して自分が製作した品物にはとりわけ愛好する心が湧いて來るものであります、 自分が嘗て燒方を教へた人が或時茶器一組を作りました、 初歩の作とて穉な氣の失せぬ甚凡俗なるも…

樂燒の仕方2 樂焼の定義

樂焼と云ふのは一體どんな焼物であらふかと云ふ事は一番さきに起る疑問でありますが、 之を説明する前に燒物と云ふ事について簡單に述べて見ませう 元來燒物には随分種類が多いのでありますがこれを大別して磁気と陶器との二つと致します、 瀬戸燒だとか九谷…

樂燒の仕方

高山流月/芳文堂出版部/1922年。大正末期の楽焼の焼き方の本。 技術的な点はともかく、ところどころおもしろいのでつまんでみる。 自序現代は餘りに質的に傾いては居まいか、昔の一の顔は圓くあつたが、今日は角張つた人が多くなつて來た、福徳圓滿の顔と權…

致知8月号

致知という雑誌の8月号に、藤田登太郎先生のインタヴューが載っている。 ギャラリー窯倉さんにいただいた。感謝。 十代の頃、すでに私の焼いた唐津焼や萩焼は大きな評判を呼ぶようになっており、自分でも「いっぱしの職人として通用するのでは」という自負心…

樂家歴代を覚える

義母や先生方の、昭和40年代より前にお茶を学んでいた方と話していて気付いた事だが、昔の茶の湯には「樂家歴代を覚える」というのが修行の必須項目だった様なのだ。…でもこれっていま全然流行ってないよね。 少なくとも私はわざわざきっちり覚えとこう、と…

寸松庵色紙の習い方5 上下句不分割の散し書

上下の句が分割されていない寸松庵色紙も、やはりそれなりにいろんな法則に支配されている。 この不分割の形式を通覧するに一種の歌を多くは四行に割つてある。 一句は4行割が基本。 一紙六行の下方の延長線が一點に集合してゐる事である。 各行は微妙に微妙…

寸松庵色紙の習い方4 上下句分割の散し書

さて現存の寸松庵色紙を見ると、三十枚中(田中氏模本中に載せられたる數)一首の歌を一團として散したるもの二十六枚、上下二句を分かち二團とせるもの四枚といふ割合を以て書かれてある。 寸松庵色紙の散らし書きのうち、上の句と下の句が分割される程大きく…

寸松庵色紙の習い方3 寸松庵色紙の原形

寸松庵色紙は一枚々々別々にこのやうな姿で書かれたものであらうか。 (中略) この問題は散し書の本質に觸れる重要なものと思ふが故に現存の二十幾枚を仔細に觀察して其の原形を究めて見なければならぬ。 今では一枚一枚が軸にされている寸松庵色紙。 最初ど…

寸松庵色紙の習い方2 古筆切に表れたる散し書

著者による散らし書きの分類。 第一種 この主に屬せしめたるものは、散し書といふ特別な表現形式を採用して全體の美の構成に重要な役割を持たしめて居ないもの。 即ち夫々の帖或は巻子の最後に於て歌の一種又は一、二行を分行としたもの。 全体のうち、ほん…

寸松庵色紙の習い方

安東正郎/梅雪假名叢書刊行會/1939年。「…習い方?」タイトルに惹かれて買った。でも英訳したら「How to learn」だから別に普通か。安東正郎は聖空の号の書家にして古筆研究家、らしい。 まずは「散し書」の定義から。 「散し書」とは如何なるものをいふ語で…