2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

11月の展覧会

秋展示終盤戦。 徳島城気になるなぁ。 東京近郊 期間 タイトル 備考 出光美術館 -11/13 大仙崖展 畠山記念館 -12/11 天下人の愛した茶道具 静嘉堂文庫美術館 -12/11 うるしで伝える美の世界 永青文庫 -1/29 仙崖ワールド 4期分割 東京国立博物館 -11/27 禅 …

天目茶碗考17

藤四郎の続き。 藤四郎即ち尾張瀬戸の陶祖加藤四郎左衞門の入宋して陶法を學んだ事蹟に就ては従來種々の説があつて、其入宋を後堀河天皇の貞應二年(洋暦千二百二十三年)なりとし、永平寺開山道元禅師に随ひて渡宋し、居る事五年にして、安貞元年に歸朝したと…

天目茶碗考16

ついでに磁器とかの話。 ○支那の磁器 支那にて磁器と稱する物の中には青磁、白磁の如き種々の物を包容し、又は極めて之を狭義に用ひて磁州に産する石を粉碎し之を原料として燒きて製したるもの、或は之と全く同質のものゝみに限りて稱する等區々である。 (略…

天目茶碗考15

○飲茶の方法が變化した為め茶碗の色之に應じて變りたりし事。 (略) 陸羽以來黒盞を宜しとす。 本邦にもとりわけ黒樂茶碗を點茶家賞す、これみな抹茶によろし、 煮茶、淹茶には白色の盞よろし、 しからざれば茶色見えず、厚きをもろこしにも宜しとす、 點茶家…

天目茶碗考14

建窯の起源は宋の時代で、其後引繼き元時代に於ても盛に同窯にて製陶して居つたが後に至り廢窯された。 本書を読んで初めて知ったのは、建窯がさほど(中国陶芸史では)重要な窯ではないということだ。 景徳鎮が猛烈な歴史を誇るのに対し、建窯は「抹茶の歴史…

天目茶碗考13

○唯天目君臺觀左右帳記に、世間に多き物にて候、これもころなり、藥能候は重寶に候。 (略) 右等の記載に依り考ふるに、此天目は灰被の下等品で、義政公御使用なかりしと云ふ位のものにて、釉色模樣等特に取り立てゝ稱すべきものでない。 つまりただの天目、…

天目茶碗考12

○灰潜君臺觀左右帳記に、世間にまれなる物にて候、見やうに口傳多し。今泉氏は窯中釉の溶解の度を失ひ、十分の光彩を發せざるものを云ふ。其内緑色を帯たるを本邦茶家、蓼冷汁と稱す、と記された。蓼汁を懸けたるやうに青みあり、と書いている。 (略) 又、茶…

天目茶碗考11

○烏盞君臺觀左右帳記に、土藥はけんさんの如し、形はたうさんなりにて大小あり、三百匹。 (略) 君臺觀左右帳記には上記の如く、湯盞の形なりと云ふ。 湯盞は平茶碗にして天目茶碗ではない。 しかし支那にては烏盞の天目茶碗の有つた事は、格古要論及陶録等に…

天目茶碗考10

○油滴君臺觀左右帳記に、ようへんの次、是も一段の重寶也。 (略) 此の記事に依り考ふれ\ば、油滴は支那にて謂ふ所の鷓鴣斑又油珠と云ふものに當る樣である。 油滴の中国名が判ったのは収穫である。 割りと数のある茶碗だしね。 釉色鼠色にして同色白暈の細點…

天目茶碗考9

曜變君臺觀左右帳記に建盞の内の無上也、天下におほからぬ物なり(略) (略) 元來支那には窯變の字はあるが曜變の字はない。 されば音の同じき為に假借して曜の字を用ひたものと思はれる。 (略) さすれば窯變は即ち火變りの事で其内には種々のものを含み、特に…

天目茶碗考8

天目茶碗の種類天目茶碗の形状が略一定のものである事は、既に説いた通りである。 されば其形状に依り種類を區別する事は難しい。 従來我國に於て稱せられて居つた名稱は主に其釉の色、若くは装飾、製産地、所藏者等に依りて命名せられたものゝ樣である。 と…

天目茶碗考7

天目臺古者尋有舟、爵有坫即今俗稱臺盞(原文 王+戔)之類也、然臺盞亦始於盞托、托始於唐、前世未有也(略)(演繁露ー格致鏡原巻五十一) (略)即ち一説には周の時代に既に六尋の下に舟を置きて承盤とする事あり、又臺盞の象は漢時代にも見えて居るが、これは周…

天目茶碗考6

天目茶碗の茶器として賞用された理由茶器として天目茶碗を珍賞せし事を説くには勢支那に於ける飲茶法の沿革唐宋時代に於ける茶人の風俗點茶方法等に遡り説くの必要がある。 (略) といってもあまり意味がないのでざっぱり飛ばす。 元來茶は三國の時既に之を愛…

天目茶碗考5

天目茶碗の使用天目茶碗は酒を飲む為の器であつたのを我國では茶器として用ひたとの説があるが、之は首肯し難い。 此説は多分建盞の文字に拘泥し盞の字を盃と訓みたるより誤つたものゝ樣である。 盞は浅い皿を意味する字で、やはり盃の意味らしい。 しかし盞…

天目茶碗考4

我邦にて佛前に天目を飾りし事及其将來の年代(上略)亭主之息男、献茶菓梅桃之若冠通建盞(下略)(玄恵法印喫茶往來) (上略)茶盞間燒香之煙副建盞着供華之薫相移(中略)依之横鼻端於建盞之鰭、着精採於茶盞之前建盞の我に傳はりし年代に就ては、茶事談に珠光、引…

天目茶碗考3

宋代以前に於て浙江省に製陶の盛んであつた記事を摘記すると、陶處多者自來莫過於汴其次為浙(景徳鎮陶録巻十)東甌陶 甌越也、昔属國地、今為浙野温州府自晋巳陶、其瓷青(略)(同巻七) いろいろ長い漢文なので略す。 要は: 斯くの如く天目山附近には陶窯多く…

天目茶碗考2

天目茶碗の名稱は日本で附けた名で、支那の書籍には其所見がない。 中国での呼び名は何だろう?大觀茶論でも「盞」でしかないので、固有名詞は与えられていなかったのかもしれない。 此名稱に就ては種々の説がある。就中其主要なるもの四を擧げると一.建盞…

天目茶碗考

塚本靖/學藝書院/1935年。塚本靖は東京帝大の建築学教授。 この本を出した2年後に死去している。本書は遺作ということか。 ただし内容は大正五年の雑誌掲載からの再録である。 まず、最初に天目茶碗を定義しているので、それを見て行こう。 天目茶碗とは何ぞ…

茶儀指掌7

本書には「別記」として、細かい所作というか割り稽古的なものが別に記されている。その中で、少しだけ茶巾が変わっているので紹介。 一 薄茶点ニ用ユル茶巾ハ始メヨリシホリ。フクダメ。茶碗ニ仕込持出ルナリ。 濃茶点ニ仕込樣ハ。茶碗ヲ能ク洗ヒテ拭ハスニ…

茶儀指掌6

この後炭の解説があるが、私の理解が及ばないのでスルー。その次の風炉の薄茶濃茶の解説は、炉で語った事を除くと「ふつー」。ただ、 (略) 右ニテ蓋置ヲ取出シ定座圖ノ處ニ置キ 左リニ持タル柄杓右ニ持替蓋置ノ上ニ乘セ柄ハ筋違ニシテ手ナリニ引置キ,客ヘ一…

茶儀指掌5

「小角臺貴人ヘ爐薄茶点之事」続き。昨日の記述の中で見飛ばしていた部分。 次ニ天目碗小角臺ニ載セ、右ノ手碗カゝヘ左手臺ヲ持入ル (略) 四角い平たい台の上に、天目茶碗を載せるんだ…。めっちゃ安定悪そう…。 花鳥式ト小角臺ノ取扱ハ好古齋ヨリ始ルか 其以…

茶儀指掌4

「小角臺貴人ヘ爐薄茶点之事」より。 一 最初水指持出テ次ニ棗茶碗持チ出テ。 定座ニ置三ツ飾ニス 右手ニ小角臺持テ(能ク水ニ濕シスクニフキ上ケ持出ルトキハ足ノ切目ヘ指四本又三本入ゝ上ヨリ大指ニテ押ヘ持氣味ニテ持始終倣之) 左手建水持チ出。茶道口シメ…

茶儀指掌3

「風爐左勝手薄茶点之圖并点茶仕樣ノ事」より。これまた割と普通の風炉薄茶なワケだが、やっぱ違うトコはある。 茶杓ニテ茶ヲサバキ其杓碗ノ縁ニテ一寸打拂ヒ(略) (略) 第貳圖其四ノ如ク扨水指ノ蓋右ニテ取り。(略) (略) 柄杓右ニテ取リ。左手アシラヒサバキ…

茶儀指掌2

一番最初の記事「四疊半爐左勝手圖并薄茶点方之事」より。一連のお点前は大差無いから省略する。大体千家系のお点前だと思えば問題ない。だが、客に点てたお茶を出すあたりから結構違う。 上客次客ヘ挨拶シ。 主ヘ御茶頂戴ト禮ヲノベ身ヲ進ミ出。 茶碗ヲ引本…

茶儀指掌

小出良金/潜龍庵/1907年。明治40年の松尾流の本。「序文」から。 余茶道ヲ好ミ曩に松尾茶博ニ就テ法ヲ問ヒ同門諸子ト時々相會シ斯道ヲ研鑚セシカ今ヤ諸子離散分處シテ復タ相語ルコト能ハズ 故ニ各點茶ノ儀節ヲ異ニシテ甚シキハ同流ノ看無キニ至ル 所謂源遠ク…

超音波

安い超音波洗浄器を買って、茶筅洗いに使っている。すごくいい。何がいいといって内穂を触らず洗えること。穂先が乱れないのだ。こんな濃茶の後の茶筅。水中でじゃぶじゃぶしても取れやしない。 指でしごく必要がある。中の穂だともっと困難。穂先みだれまく…

飛石・手水鉢19

この後、手水鉢のいろいろが書かれるが、それは枝葉なのでオミット。最後に、その周辺の話を。 8 附属品(一)杓架 手水を使い、口をそそぐには柄杓は必ずつきものであり、それを載せる台が杓架である。 (略) これは青竹の二ツ割もしくは丸竹を用い、二本寄せ…

飛石・手水鉢18

水門についてはさらに重要な構造がある。 それは吸込の穴から下方に水を落し、その水を地下に設た伏瓶もしくは伏鉢の底にうがった穴から滴下させ、内部の空洞を利用して滴下音の反響を地上にいて聞くという微妙極まる構造である。 この構造を洞水門或は伏鉢…

飛石・手水鉢17

それならば何故茶庭にあってこのような丈の低い水鉢を据え、体をかがめて手水を使うような構造になったかというに、それは露地というものが自然の理想化であり、出来れば涌水や岩清水でも使いたい場所らしく造られるところであり、つくばいそのものも自然景…

飛石・手水鉢16

蹲踞(つくばい)という文字が示すように体を前こごみにする意である。 茶道発祥の初期にあっては茶庭の中に手水鉢を据え、客はこの前に体かがめて手水を使ったので後世に見るような役石備えた石組構造ではなかった。 なるほど。 初期のつくばいは、もっとシン…