2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

7月の展覧会

うん、見事にシーズン終了、って感じで、7月中旬あたりは非常に寂しい感じになっております。近場で終わりの近い羽田空港優先かな?しかし最近、永青文庫いろんなトコに貸し出してますね。 東京近郊 期間 タイトル 備考 三井記念美術館 7/9-9/4 日本美術にみ…

竹窓茶話3 侘

紹鴎の侘びの文や、石州秘事五ケ條の中に「天下の侘の根元は、天照大御神にまします」と誌されてゐる。 蓋しいかなる金銀珠玉を鏤ばめ、殿作り仕給ふても、よろしいのに、萱葺、白木造りの宮柱、黒米の御供、その他、何から何まで、慎み、おこたり給はぬ御事…

竹窓茶話2 少

よきものゝ、すくないのは、愈々よきものである、多くなれば、必ず趣を失ひてそのよさは、隠れてしまふものである。 千利休は、堺の濱邊に庵を結んだが、見晴しのよき方に、雑木を植ゑて遮ぎり、圍いの入口の所にて、只少し海をすかしみるやうにした。 何と…

竹窓茶話

石黒大介/國民出版社/1944年。戦況悪い頃に出たお茶に関するエッセイ。内容がのんきなのは現実逃避の為か。そんな中から「品水」の章をご紹介。 茶は水を撰ばなければならぬ、天下に水は多いけれども、さて良水は得難いものである。 (中略) 皇國は、山川秀麗…

一期一会

山上宗二が、そして井伊宗観がいう。「この時はこれが最後、同じ客組、同じ道具組でも同じお茶にはならない。だからこの会を大事にしようよ」という考え。 もし「この時」を大事にしたら「時よ止まれ、お前は美しい」って感じの最高の会が約束される、っての…

籠水指

ちょっと暑くなってきたので籠の話。 籠花入は、落とし、と言う筒を入れて花入として使う。 それはそれとして、花入に蓋を付ければ水指に転用できる、というも私は知っている。 という事は、大きな籠に大きな落としを入れれば、籠の水指が作れるのではなかろ…

菓子そして中立

室町時代。このころのお茶は、お菓子にコノワタ等を使っていてびっくりする。しかし、それ以上にびっくりするのはお菓子が複数出ること。松屋久政会記 弘治三年十二月にこうある。 十九日 一 慈尊院 (中略) 菓子 クリ・カキ・イリモチ・ミカン・コフ (後略) …

道安と少庵

茶道古典全集の宗達自会記、天文十八年正月廿三日朝の会記の宮王三郎の注釈にこうある。 同三郎 名は鑑氏。右衛門の弟。千紹安の父といわれる(四座役者目録) 紹安は道安の事。紹安も少庵も音はおんなじ「しょうあん」なので混同したのだろうか? ただ、茶道…

梅雨のお茶

梅雨のお茶。昔も「足元のお悪い中」みたいな挨拶してたんでしょうか? ってことで初期茶道に於ける茶会の季節と頻度に関して調べてみました。まずは松屋久政が招かれた茶会に関して。 正月 52 二月 43 三月 34 四月 52 五月 16 六月 15 七月 6 八月 15 九月…

茶乃湯客能心得4 中立の作法

例によって、中立の合図をどんな姿勢で聴くか?というお話について。 腰掛に到りて烟草を喫し各自小用を便じ相圖ある時ハ粛聴し了つて再び嗽すべし 粛聴には「おちつきヽく」とルビ*1が振ってある。 やはり明治初頭は「みんなでウンコ座りして拝聴する」とい…

茶乃湯客能心得3 懐石

懐石の食べ方について。 (第十六)飯汁共喫する事膳揃ひ亭主勝手口を閉ぢ了るを期として客一同に先飯碗の蓋を把り之を仰向けにして膳の右側に置き次で汁碗の蓋を把り同じく之を手前へ置き この本の手順では、飯碗と汁碗の蓋は別々に取って、重ねずに置く。ほ…

茶乃湯客能心得2 千家の茶庭

冒頭口絵より。残月亭を上に。右上に不審庵。右下に今日庵…あれ?どっちかってーとこの絵の上、残月亭の向こう側に裏千家今日庵はあるんじゃないですかね…。これだと裏千家があんまりにも表千家の間借りっぽすぎる。もしかすると当時の表千家の方からすれば…

茶の湯はいつまで廃れていたか

熊倉功夫の著作「昔の茶の湯今の茶の湯」にこうある。 その苦しい家元があったからこそ、お茶がふたたび復興する時代がやってくるわけです。 この復興する時代は、だいたい明治三十年代からはじまってまいります。 熊倉さんの史観では 明治20年代まで茶の湯…

茶乃湯客能心得

堀内正路/四通社/1883年。明治16年の茶の湯指導書。 奥付は「著述兼出版人 和歌山縣士族 堀内正路」といかめしい。著者は吸江斎、住山楊甫を師としていたらしい。って事で表千家の方ですね。前書きより。 夫レ茶道ハ必スシモ窮屈ナルモノニアラズ唯タ猥雑ヲ…

DB化

自分の道具取り合わせを考える上で、道具をデータベースで管理すればいいんじゃないか?そう考えるようになった。まぁ正直うちの道具の数だといらないんだけど。なので、より一般的な話としてDB化を考えてみました。テーブルとしてはこんな感じか? 種類 茶…

益田鈍翁 風流記事6 多門店

益田鈍翁の弟、紅艶は多門店という骨董品店を開いた。多門店は紅艶の死後も存続し、大師会の世話役をつとめていた。その多門店がいつどうやって潰れたのか、私は知らなかった。 柴田 (中略) この明くる年に鈍翁がお茶をなさったんだが、宋胡録の 柿の香合が…

益田鈍翁 風流記事5 重ね茶碗

鈍翁が、茶人夫婦手作りの茶碗を返却した茶会について。 柴田 ことの起こりは鈍翁が瀬戸の加藤春鼎方を訪ねた時に、 名古屋の財界の実力者であり大茶人の富田宗慶、宗晃夫妻 の手造の瀬戸黒茶碗二碗を見せられたんだ。そこで鈍翁は 「分捕りは武士の手柄」と…

益田鈍翁 風流記事4 おたき

鈍翁の妾、おたきさん。水屋で聞いた数寄者同士の会話からインサイダー取引で大儲けした、みたいなエピソードを持つ女傑。息子の信世さんもそうだけど、なぜ彼女が「益田たき」なのか?という事に答えてくれた貴重な証言。 柴田 側室が本妻のように、益田た…

益田鈍翁 風流記事3 狸香合

大師会でのできごとから。 柴田 大正十二年のことで、お客が席中で交趾の狸の香合を 割ってしまったんだ。 香合を蓋と身を一緒に持ってしまったのです。そして 底を見たわけ。 そんなことをするから、身の方が落ちたわけ。 運の悪いことに板床で、帛紗を強い…

益田鈍翁 風流記事2 大寄せ

インタビューより。 鈴木 明治十九年十月一日に山谷、八百善の向島の別業(別荘)へ 呼ばれていますが。 柴田 これは、大寄せです。当日は野村儀兵衛氏の当番であった ようですね。 うーん。大寄せってのいうのは、明治28年鈍翁の大師会を嚆矢とするもので、そ…

益田鈍翁 風流記事

筒井紘一、柴田桂作、鈴木皓詞/淡交社/1992年。 この本は、明治38年生まれの元道具屋、柴田桂作が所持していた、益田鈍翁の自筆自会記「風流記事」が中心。そこに筒井紘一氏が前書きみたいなのを書いて、鈴木皓詞氏が柴田桂作に行ったインタビューが後ろに…

茶道具の賞翫

茶は、茶碗の賞翫の為にあるのだろうか? それとも、茶碗は、茶の賞翫の為にあるのだろうか? 利休七則の最初の四つを思い出そう(あと三則は心構えだからね)。 茶は服のよき様に 炭は湯のよく沸く様に 花は野にある様に 夏は涼しく冬暖かに ここに書いてある…

花入の賞翫

花は花入を賞翫するためにある。花入は花を賞翫するためにあるわけではない。 実は、これは簡単に立証できてしまう。 松屋会記 永禄十年。 メシ過テ、床ニ鶴ノハシ、ヌリ板ニ、花不入ニ水斗、 歴史上、花入に水だけ入れて出す、という例は数多ある。 しかし…

花の賞翫

床の花は、床前に正座した状態で賞翫するものである。諸飾りって、軸があるから床に花が入れてあるのがたいていだが、後座に花を入れる場合は大平に中釘で掛けたり、場合によってはもっと高い位置に掛ける場合だってあるだろう。でも、花がどの位置にあろう…

茶の湯早學び 常識修了篇

戸田宗寛/帝國茶道普及學會/1939年。戸田勝久のお父さん、戸田宗寛の書いた入門書。序にこうある。 日本茶道の國民的普及が本書刊行の第一義であります。茶道を骨董視したり、限られた階級の趣味なりと敬遠したり、更に又華美な茶會が其の唯一の目的であるか…

ムラサキカタバミ

晴れたので庭の雑草を毟る。ムラサキカタバミが咲いていたので、抜いて手持ちの小さな蹲に入れてみた。まっすぐ立たすのに苦労して、結束具を使って茎を束ね、その結束具を蹲の口につっかえさせる、という無茶な作戦をとってみた。出来がアレなのでわざわざ…

南坊録の研究4 利休の言葉 ふり

万貫屋宛傳書より。 朝數寄は手水使はず、只手水鉢をつくばひよく見て、其まま立つて行く事よし。 是は今朝手水使ひて、即ち間もなく候へば、今更使ふに及ばずと也。 席入りの際に手水を使うか、慶長八九年まで朝会には手水を使わなかった、という話は以前書…

南坊録の研究3 利休の言葉 藪内紹智宛伝書

餘香録のとこでも取り上げた藪内紹智宛の伝書。 http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20110527 利休が藪内紹智に宛てた傳書は二種類ある。 その一つは現在妙法院に遺つてゐるもので、他は東京の加藤正治氏蔵のものである。 この藪内紹智は、現在も茶道の家元…

南坊録の研究2 利休の言葉 朝がほの茶の湯

本書には、南坊録の研究以外にも、いろんな利休伝書の研究も収録されている。 朝がほの茶の湯の事、初め花をいけ、後懸物をカフル事也。 朝がほ明日イケンと思ふて宵から切候てイケテ置候ヘバ ツル ロクニイナヲル物也。 それを生る也。 上記伝書は天正元年…

南坊録の研究

西堀一三/寶雲舎/1944年。研究、というタイトルだが、資料としての南坊録になんら疑義を抱いていないので、研究というのは言い過ぎ?南坊録に関する解説書、というのが正しいか。 後に熊倉功夫が「南方録はどういう茶をしようとしていたか」という視点で書い…