2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

8月の展覧会

サントリーに、藤田美術館の名品がやってきます。正直見慣れた品々だと思いますが、蔵の中/凸凹のガラス/しょっぱい照明で見ていた道具達が、サントリーの照明でどう化けるかが楽しみです。 東京近郊 期間 タイトル 備考 出光美術館 8/8-10/12 躍動と回帰 …

茶人の旅5 加賀藩の茶湯遺構

〔勝興寺〕 (略) この勝興寺の歴代住職の中には、藩主前田一族や総本山西本願寺の嫡流が入っており、真宗寺院にある別院ではなく、別格本山というか、準本山的な寺格をもっている。 この寺の黒書院に続けて、天保年間(一八三〇〜一八四〇)に増築された茶室が…

茶人の旅4 前田家の茶湯流派

前田家の採用した茶家は宗和、遠州、裏千家の三家。他に藪内流があったようだが、京から町方で流れてきたもので、藩としての採用とは言いがたそうだ。 〔加賀宗和流〕 (略) 利常はその茶風を愛し、利家と右近の関係もあり、何とか宗和を加賀にと、 再三養成…

茶人の旅3 大田竹亭

高岡市教育委員会の立島氏に「石動に三千石を茶湯で三代に亘って潰した家がある」 と聞いたので調べてみると、安永から文久にかけて八十年間、石動の埴生にある大田家という代々苗字帯刀を許された家で、幕府巡検使の定宿になった家柄でもある。 (略) 公務の…

茶人の旅2 中川宗半

中川宗半は名を光重といって、最初は信長に仕えた武将であったが、利家の知遇を得て、利家の二女を娶り前田家の家臣になり五千石の扶持を得ていた。 茶湯は利休の一門で、仲々の熱心であったが、一時あまりにも茶湯熱心が過ぎたので、武士の本分を忘れたとし…

茶人の旅

野村瑞典/芸艸堂/1984年。江戸初期の各藩の茶の湯状況を調べた本。江戸時代の武家茶道と言えば石州流である。 しかし藩祖自身が織豊期の茶湯に親しんだ藩では、その系列を大事に守って伝承する所も少なくなかったが、参勤交替で江戸詰を余儀なくされるので、…

和敬と清

「客組が大事」を再考してみた。 「客組が大事」な理由のひとつに、同じ茶碗の濃茶を飲むことがあるかもしれない。なぜなら、嫌いな人間と間接キッスは嫌だからである。それだけ吸茶は親密さを高める行為だ、ということでもある。 そして、強制的に親密にな…

和敬

古来から様々な茶書に、亭主の仕事として、客組の大事さが書かれてきた。つまり「仲の悪い人同士を呼んでも茶会は成功しない」ということだ。 茶の湯と言うセッションが一座建立を目的としている以上、その阻害要因は入口で排除すべし、という事でもある。 …

淡交増刊 寛永文化と茶の湯8 小堀遠州と寛永期の京焼

中ノ堂一信著。鳳林承章の隔冥*1記の茶陶記述から、京都の茶道具売買に関し検証した記事。 鳳林の手に入った京焼製品や、鳳林のもとを訪れた京焼陶工の記事と、大平五兵衛の関連する記事を比較すると、そのほとんどは大平五兵衛が仲介、贈与したと考えられる…

淡交増刊 寛永文化と茶の湯7 茶人小堀遠州と寛永期の文学

林左馬衛著。 茶の湯という遊びと文学とは、どこかで確実に接点をもっているだろう──、と筆者は考え続けてきた。 著者が林左馬衛でなければ、「何を馬鹿なことを」と思っただろう。 林左馬衛の遠州評は、的確で辛辣である。 (略)少なくとも同時代的には、け…

首里城鎖之間

沖縄の首里城には、鎖之間(さすのま)という空間がある。以下、首里城のホームページより。 http://oki-park.jp/shurijo/guide/55 鎖之間は王子などの控え所であり、また諸役の者達を招き懇談する、御鎖之間(おさすのま)と言われる広間がある建物である。 …

お知らせ

週明けまで、更新をお休みします。

淡交増刊 寛永文化と茶の湯6 宗和の意匠とその背景

岡佳子著。この話、非常に面白い。というのも、 宗和について、一般に堂上公家と親しく交わった茶匠で、「姫宗和」といわれる華やかな茶風は、後水尾院等宮方一門に支持され、枯れは宮方の茶匠とまで評価されている。 御室窯にしても、宮方一門、直接には仁…

淡交増刊 寛永文化と茶の湯5 光悦の茶碗

赤沼多佳著。 光悦を語る場合、いつも引用されているものに『にきはひ草』と『本阿弥行状記』がある。 ことに『にぎはひ草』は、幼い頃より光悦に親しみ、光悦を深く慕っていた灰屋紹益が記したもので、その文中には茶人光悦の姿がこまやかにえがかれ、光悦…

淡交増刊 寛永文化と茶の湯4 信仰と芸術の人

赤井達郎著。本阿弥光悦の話であるが、気になるのは別の点。本阿弥自体の話。 妙本から数代の本阿弥家の働きはほとんど明らかにしえないが、室町時代も末、天文法華の乱になると「後藤・本阿三、茶屋、野本等壇那已下三千余、西陣・東陣を支えたり」といわれ…

淡交増刊 寛永文化と茶の湯3 守成の人 千宗旦

倉沢行洋 著。 さて、茶道史を大観すると、千里級までが創業の時代、その以後は守成の時代といえよう。 そして千宗旦は、守成の時代の最初期に当たって、その父少庵とともに、よく守成の困難を克服し、今日の茶道の隆盛を導いた功労者と位置づけることができ…

淡交増刊 寛永文化と茶の湯3 守成の人 千宗旦

復帰します。

お知らせ

1週間ほど更新をおやすみします。

淡交増刊 寛永文化と茶の湯2 寛永の茶の湯

矢部誠一郎著。 「寛永文化」は「桃山の残り火」文化なのだろうか。 (略) 次代に繋がる、いわゆる「大名茶」が、「利休茶」の「残照」とは、わたしには考えられないのである。 と、昨日の話をひっくりかえす様な書き出しである。 が、織部、遠州、石州の茶風…

淡交増刊 寛永文化と茶の湯

淡交社/1983年。熊倉功夫「寛永の風景」より。 寛永文化という言葉はあまり耳なれない。 桃山文化と言えば、すぐに豊臣秀吉と利休の姿が目に浮ぶし、元禄文化といえば西鶴の好色物や近松の浄瑠璃が思いつく。 では寛永文化といったときは? 茶の湯でいえば千…

茶と禅6 禅語

本書では、禅語を次の様に紹介している。 関これは雲門の関といって、『碧厳録』第八則、『従容経』第七十一則、『槐安国語』第二十五則に出ている。 実に公案のなかでも、最後の牢関で、大徳寺の開山大燈国師も、妙心寺の開山無相大師も、最後に苦しまれた…