2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

6月の展覧会

うーん、宇和島の気になる…。 東京近郊 期間 タイトル 備考 出光美術館 -6/4 茶の湯のうつわ 出光美術館 6/10-7/17 水墨の風 畠山記念館 -6/18 茶の湯の名品 根津美術館 -7/2 はじめての古美術鑑賞 五島美術館 6/24-7/30 料紙のよそおい 静嘉堂文庫美術館 6/…

南方録と立花実山10

「ふすべ茶湯」とは自然の風物を背景にして催す茶会であり、 土を掘って石を組んで炉を造り、また樹の枝に釜をつるしたり松葉や柴をくすべて湯を沸かすなど、季節によって場所によって工夫を凝らすところに妙味があるという最も野趣豊かな野点のことである。…

南方録と立花実山9

実山は主君光之の側勤めであったため、参勤にも毎回供奉しており、その回数は「梵字艸」にも記しているとおり合計三十八回を数えている。 またしばしば特別に暇をもらったり、参勤の前後に許可を得て別行動をとっている。 そのような機会を利用して書画・茶…

南方録と立花実山8

実山所持の道具に関して。 実山は宝永五(一七〇八)年六月三日綱政の命によって中老の野村太郎兵衛祐春に預けられ、鯰田に幽閉されている。 「長野日記」によれば、このとき実山は茶道具などの家財を除いて武道具のみを藩に召し上げられている。 実山が書き留…

藤田登太郎茶陶展

畠山記念館で開催中の藤田登太郎茶陶展。今年はGWでなくこの時期開催。昨年末交通会館で開催された展示の内容と、今年焼いた瀬戸黒を中心にした展示。http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20161216瀬戸黒の技法に、引出黒と置黒があり、それはどう違うか、と…

南方録の会記に頻出する「ス」の一文字。これは「又」であり、「そして」程度の意味であり、一般的な風習ではない(でなきゃいろんな研究者があーでもないこーでもないといわない)が、実山の周辺では行われてきた記述法である、という。 これはおそろしいこと…

南方録と立花実山7

南方録の会記には「ス」とだけ書いた行がある。これをどう解釈するかは長年の課題だった。http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20091015 福岡の南方流の中心となっている博多円覚寺の前住持で、元南方会会長を務められた龍淵環洲和尚にお会いしたことがある。…

湯木美術館 江戸時代のやきもの

「ひとめでわかる京焼300年の歴史」とのこと。楽、仁清、乾山、道八、木米。堂々たる京焼の歴史である。長次郎の五月雨。「長次郎!」としかいえない作行きだが、長次郎としてはやや低調か。空中の芋頭水指。南蛮風の荒々しさがここちよい。のんこうの割山椒…

藤田美術館 ザ・コレクション

現・藤田美術館の最後を飾るコレクション展。茶道具限定ではない。利休作二重切花入「よなが」。利休作だと思うとありがたいが、よくよく見るとそんないいものでもないような…。 古瀬戸肩衝茶入「在中庵」。箱も展示されていてうれしい。さすがの迫力。 交趾…

竹中大工道具館

JRの新神戸駅を降りてすぐの場所に、竹中工務店が作った大工仕事に関するミュージアムがある。中はいろんな大工道具とその仕事がいっぱい展示されており、元大工を含むスタッフが展示物を解説してくれる、非常に興味深いミュージアムである。 その地下二階の…

南方録と立花実山6

実山は六千八百六十石を領する藩の重臣野村太郎兵衛祐春に預けられ、鯰田に幽閉されているが、謫居の具体的な場所については未だ特定されていない。 なるほど。…なるほど? 「梵字艸」にみる謫居の場所謫居の家ハ野村祐春の臣村橋なにがしが亭なり。 (略) 山…

南方録と立花実山5

実山にとって「梵字艸」は、自らの身の潔白を証明するためのものでもあった。 ということで実山幽閉後の獄中記「梵字艸」について。 実山の謫居にあてがわれたのは、野村太郎兵衛祐春の家臣・村橋弥兵衛の家の離れであった。 (略) 六月十八日になると「家中…

南方録と立花実山4

「筑紫秘談」の伝える話。 光之の寵臣に立花五郎左衛門重根(実山)という者がいた。文才はあったが、「邪知姦曲」であった。綱之が英雄顕君であったので、実山は自分の思いあがりによって不正を働かんがため、光之にしばしば讒言をしていた。 で、綱之を廃嫡…

南方録と立花実山3

八歳のとき初めて藩に出仕して以来、三代藩主光之(一六二八〜一七〇七)の側近として重用され、特に光之が元禄元年六十歳で藩主の座を綱政(一六五九〜一七一一)に譲って後八十歳で死去するまでの二十年間は、光之の隠居付き頭取として仕えている。 実山は黒田…

南方録と立花実山2

南方録偽書説の経緯について。 貞享三(一六八六)年の秋、主君である黒田三代藩主光之が参勤交代で江戸に上るのにお供をした折、瀬戸内海の蒲刈という所に停泊していたところ、「京都何某方」から船中に宛て書状が届いた。 「利休秘伝の茶湯の書五巻を所持す…

南方録と立花実山

松岡博和/海鳥社/1998年。この本はとても珍しい本である。南方録についての本は、たいてい南方録の内容を、禅的な視点あるいは茶史的な視点で分析したり検証したりするものである。だがこの本は、立花実山がどういう一族の出身で、そこから南方録がどう広ま…

日本刀は語る

佐藤寒山/青雲書院/1977年。日本刀の話だが、江戸時代の偽物事情について面白かったので。 鎌倉中期に山城国粟田口派に藤四郎吉光という名工がいる。 吉光は短刀の作を最も得意とし、太刀の作はきわめてまれである。 江戸時代には吉光の作を名刀第一におき、…

日本茶の湯文化史の新研究22

宗及の時代の前後の茶人はこの「美しき」ものの同義語として、むしろ「きれい」の語を用いている方が多い。 しかしながら宗及は「きれい」を全く使用していない。 ということで「きれい」について。 元亀三年(一五七二)奥書の「烏鼠集四巻書」(「茶道文化研…

日本茶の湯文化史の新研究21

「うつくしき」について。 それでは美に対する称賛の語としての最も基本的な「うつくしき」は茶の湯の世界において具体的にどのような意味を持っていたのであろうか。 まず前述の「鶴嘴の花瓶」についての史料の中で宗及は、この花瓶を「かね一段うつくしく…

日曜美術館 器の向こうに人がいる

Eテレのトーハク「茶の湯」コラボ番組。冒頭の熊倉功夫の「茶の湯」展に対する感想として「前代未聞とはいいませんけど…今後難しいでしょうね」…39年前のトーハク「茶の美術」と展示内容にほぼおんなじだもんな。口を濁さざるを得ないわな。「義政がこよなく…

日本茶の湯文化史の新研究20

茶の湯における「軽重」が、物質的な重量をいうのではないことは言を待たない。 が、それではその概念がどのようなものであったかというと、明瞭にされていないのが実状である。 という「重き」と「軽き」について。 二、三の例を引いて考察してみると、特に…

日本茶の湯文化史の新研究19

「ぬるき」の用例後半より。 片桐石州の「石州三百ヶ条」に、肌あらきは黒目に持入よし、きめ細かなるは赤目に持入べし、但、つよき釜は黒く、ぬるき釜はさびいろよし、さびいろはつよきものなりと記している。「ぬるき釜」は「さびいろ」にするのがよく、「…

日本茶の湯文化史の新研究18

「ぬるき」について。 茶道具の鑑賞に多く使われた用語は「ぬるき」である。 いうでもなく「ぬるき」は茶道具や、道具立てにおいて、心の至らないこと、未熟な状態を指していることは一応うなずける。 「一応」とわざわざ書く以上は、掘り下げるのである。 …

日本茶の湯文化史の新研究17

「景気」に関連して「景色」の話。 茶の湯の趣向の様体を表わす用語で、現代でも広く一般の茶人の間で用いられているのが「景色」である。 (略) しかしながら、結論を急げば「景色」の使用例は極めて少なく、日本の茶の湯の成立した室町時代中期から江戸時代…

日本茶の湯文化史の新研究16

今度は「景気」について。 「景気」は藤原定家の「毎月抄」に「さらん時は、まづ景気の哥とて、すがた詞のそそめきたるが」とあるように、古来の歌学における用語として頻出する言葉である。 定家は「景気」といって、人の姿や景色、心を表現する言葉などが…

日本茶の湯文化史の新研究15

「とうけた」に附随する、「ひょうげ」と「ひずみ」の話。 「道化」の感覚の意味を考える上で参考になるのが「ひょうげ」(剽軽)と「ひずみ」である。 「ひょうげ」は「ひょうきん」者、ないしは「おどけ」者の意であり、「どうけ」と殆ど同意であると考えて…

日本茶の湯文化史の新研究14

「道化」について。宗及他会記の天正6年12月28日住吉屋宗無の会の飯銅茶入の表現から。 惣別、此壺カルク、サットシタル壺也、コヒタル心ハナク候、ウツクシクキャシャ也、ハナヤカニハナシ、タウケテツヨキココロハナシ (略) 「飯銅の茶入」の評に使われた…

日本茶の湯文化史の新研究13

次に「異風」について。 前出の「津田宗及他会記」の「鶴嘴の花瓶」は千利休の茶会に用いられた茶器として、宗及にとっても極めて強く印象に残った茶器であったことが、彼の詳しい批評からも窺われた。宗及のこの批評の後半に、此花びん、惣別、こびたる物に…

日本茶の湯文化史の新研究12

難しい難しいと言っていても話にならないので、一個づつ考えていくか。 まずは「こびた」について。 「宗二記」の利休秘伝の十ヶ条の冒頭の語は「コヒタ」である。 利休が最も重視した言葉、精神であったとも考えられる。 しかしながら「コヒタ」が現代用語…

日本茶の湯文化史の新研究11

「山上宗二記」(酒井巌氏所蔵本・天正十八年成立(略))に、一 宗易愚拙ニ密伝、就御懇望不残心底、十ヶ条書顕者也、コヒタ タケタ 侘タ 愁タ トウケタ 花ヤカニ 物知 作者 花車ニ ツヨクとあり、この十の語句の精神を体得した人を名人「上手ト云」とある。 こ…