数寄屋図解事典23

ほうあん(蜂庵)

京都太秦広隆寺境内にある茶室。
西本願寺の大谷心斎(尊由)師が聖徳太子二千百年を記念して大正13年(1924)に寄付されたもので、この土地を蜂ヶ丘と呼ばれているいるところから蜂庵と名づけられたものである。

広隆寺聖徳太子信仰の寺。
この蜂庵がどうなったかはさっぱり判らない。
現存しているかしていないのかすら判らない。

ほうしゅうかいちゃしつ(宝集会茶室)

兵庫県宝塚植物園内にある茶室。
小林一三の発起により千惺斎宗匠の指図によって造営された茶室。
(略)

宝塚植物園は、宝塚ファミリーランドの一部であり、宝塚ファミリーランド廃業後も一部がガーデンフィールズとして存続したが、2013年に完全に無くなった。

これも行方が知れない。逸翁美術館関係に移築されてなさそうなので、たぶん建て壊されたんだろう。

ほうしゅうしゃ(豊秀舍)

京都豊国神社境内にある数寄屋。
大正14年(1925)豊臣秀吉の偉業を偲んで野村得庵の発起により藪内竹窓の好みで造営されたもの。
(略)

こちらは現存し、利用されているようだ。


茶室は、たいてい移築できる構造である。

そこで維持できなくなっても、江戸時代の茶室は誰かが移築し大事にする。

しかし、大正以降の茶室は取り壊されてしまう事が多過ぎる。

つまり「残す価値がない」そう思われている。

我々の時代は後世に「昔のものを伝える」だけでプラスアルファできないのだろうか。