日本かぶれした外人は、何故か禅が好きだ。
でも彼らは禅をスピリツァルな体験として捉えているだけで、それが宗教である、という感覚を持っているんだろうか?
あるいはディベートの教育受けて来ているだけに、逆に禅問答の不条理が新鮮だっただけとか?
っていうか、彼ら最終的に
「ジーザスに会ったらジーザスを殺す」
みたいな境地にいくのだろうか?もしや「まいっか、殺しても3日経ちゃ生き返るんだし」という考え?
ランディ・チャネル先生に聞いていたいところだ。でも先生はちょっと裏のスポークスマン的優等生っぽさがあるからなぁ。