つくばい

藪内家の燕庵には文覚上人の墓石を使ったつくばいがある。ずいぶん前にNHKで見た時結構ひいた。しれっと説明する御当代すげぇ、と思った。

利休も墓石や仏塔を庭に使ったらしい。参禅してた人達がこういう事してバチあたり、という感覚は無かったのだろうか?
織田信長安土城の石垣の石がないから墓石を使った。でも坊主嫌いの信長の方が許せる気がする。

この辺の感覚は中世、近世、現代で違うのかもしれない。

さて、逆に、茶道ではこーゆーことオッケー。ノーバチアタリと仮定してみる。真っ先に狙われそうなのが利休の墓石じゃなかろうか?

明治期に貧乏していた三千家と、バチアタリ上等の近代数寄者。二つあんだし、一個くらいはいいんじゃね?的なノリで買いにこなかったんだろうか?利休の墓が無事な方が不思議な気がする。