南方録を読む

熊倉功夫

歴史的評価としては「偽書」の南方録。先生としては研究者としてそう書かざるを得ない。でも茶道界での評価は必ずしもそこまで確定していない*1ので、簡単に一刀両断で「偽書でーす」と書いてしまうと、淡交での連載が打ち切られ兼ねない。

熊倉先生は春秋の筆法*2を駆使する事にしたっぽい。

『南坊宗啓が利休に確認しながら書いたの秘伝書が南方録』だよねー。すごいよねー。ってな姿勢を表層上つらぬいているものの、端々で「やー、本当はありえないよねー」と語っている。んで「やっぱ偽書だよねぇ」っていうのを最終章へ持って来た。連載を打ち切られない為のすごい努力だよ先生。

なのでこの書のタイトルは「口語訳南方録」でなく「南方録を読む」なのだろう。

日本の芸事は基本的に師匠から口伝。そういう意味で、秘伝書があった、というだけで、充分怪しい。

原理主義、というのは遵守しなければならないテキストがあって、はじめて成立する。利休はテキストは残さなかった。だから茶道において原理主義は成立していないていない。

南方録が極力口伝を排している秘伝書なのは「100年後に発見」するにはテキストにするしかなかった為。でも秘伝書ができたおかげで、「茶道の原理主義」が成立する様になった。茶道を守ったとも、硬直化させたとも言えるのではないか。

利休の茶の湯の実際はともかく、実山がどう利休の茶の湯を考えていたかが判る。これが現代の南方録感なんじゃないだろうか?

でも私は思うのだ。元禄の浮かれた世に、時代についていけなかったアナクロおやじが「昔は良かった」本を書いた。彼の寂しさとはいかばかりだったのだろうかと。

*1:多分、南方録を称揚していた世代が死に絶えるまで確定しない

*2:三国志の呉書に次の様なエピソードがある。
重臣の蒋欽が倹約の心を忘れず、家族に麻の綾織を着せていたのに感心した孫権は、麻の綾織を織らせ、后達に着せた。
一見いい話に見える様に書きつつ、孫権を馬鹿にしているわけだ。
ま、そういう筆法。