茶の湯の科学入門
堀内国彦。
人間の脳にはトンデモ野と呼ばれる部分があり、本屋でビビっと来てトンデモ本を見付ける事ができる。そういう理論*1を提唱した事がある。
もちろんこれはビビっと来る本である。
まず最初に、この本が語っているのは科学ではない、という事を表明したい。
- 仮説を立てる。
- 実験で仮説の正しさを検証する。
- 他の人は仮説と実験結果と実験そのものが正しいか検証・議論する。
科学はこういう手続きで現時点で世界を説明できる一番もっともらしい説が何か、を検討する手段であって、それっぽい用語の集成ではない。
水をディハイドロジェンモノオキサイドとか言いかえたからといって本質が変わるわけではないのだ。
本書で彼自身が実験しているのは一日の釜の温度変化だけにすぎない。実験条件や計測装置が非公開なので追試は無理だが。しかもその実験をしている以上、釜の温度を計る事が可能なのに「釜は煮えている間に後始末しないといけない」という話を実験で検証していない。釜底の湯温の変動なんて簡単に調べられるだろうに。
名水は一時硬水、とか書いているが、自分の近所の名水のPHひとつ計ってない。
茶筅を振るうと先端から超音波振動で気泡が発生する、なんて話、書くだけ書いて証明する気も全くない*2。
仮説を仮説のまま放棄し、あまつさえ自分の仮説を既知の原理原則の様に扱っている。そういう意味でこの本はトンデモ本である。大学で科学論文書いたであろう人が書いた物としては大変に怠慢だ。
ついで、上記を除けばそれなりに面白かった事を表明したい。
お茶の流派に連綿と受け継がれる経験則。普通はお稽古の時に、少しずつ教えて頂くものが、そういうのを科学の目で見る、という前提のもと、それなりのボリュームで提供されるのがうれしい。
これらの話は科学っぽい用語ない方が理解しやすい。
炭酸カルシウムだとかの用語を使わなくとも「湯相」とか「精気」という言葉で充分に納得させてきたんだから、それでいいと思うのだ。
また、堀内家の内情や伝統が伝聞できるのも楽しい。電熱器なんかで茶を点てたことなんかねーよ、みたいなボンボンっぷりにむかつく部分もあるが。
さて、最後に「茶は泡立てた方がうまいのか、そうでないのか」に結論を出さなかった事に遺憾の意を表したい。「半月サイコー」って言おうよ。やっぱさ。