社中と茶会

社中というのは「数寄のつきあいをする場」なんだろうか?そんな気もするのだが、そうでもない気もする。

少なくとも私は、自分の社中と非常に浅いつき合いしかしていない。だって良く判らないもの。

稽古場だけの横のおつき合いは、そこにある道具を使った稽古に集約されている。
うまい下手。手際の善し悪し。ヤナ人イイ人。これくらいしか判らない。好き嫌い教養の深さと方向性。全然判らない。一個の趣味人として評価できていない。

月一回、数時間私語無しで過ごす相手とつき合いが深まるものだろうか?そういう意味で私のいる社中、というのは「数寄のつきあいをする場」では無い気がする。

地域のつき合いが連動する様な地元密着型の稽古場や、ひんぱんに互いがお茶会を開くような社中なら、何か違うのかもしれない。


私はお茶やってる人の7割くらいは一生お茶会を開かずに終る、と思っている。「茶道の教育側に回った人がつき合いで開くお茶会」「同じ社中相手の練習含みのお茶会」という、お茶を習うが故に発生する茶会を除外しちゃうと、もっと率は下るだろう。

大多数はお茶会開かずに終るだろうな、と思うと、みんなが茶道を稽古している理由が良く判らなくなる。皆も私と同じく、実用面はともかく、なんか学ぶのが楽しい、と言うことなんだろうか。

私の場合、いまんとこそうなんだが、これから先学んで行くことでこの感覚が変わるとおもしろいな、とか思っている。