貴人というファンタジー

昔、貴人点の事を知った時、「形骸化した使えない点前を未だ続ける茶道の悪いトコ」ぐらいに思っていた。貴人にお茶を差し上げる事なんてないのにね、ばっかみたい…んな感じ。

でも、今ではそう思っていない。

さて一旦話は変わる。

靖国神社を拝殿に向かい歩くと、「下乗」という看板が有る。
これは、ここから先は乗物から降りて徒歩で行け!という意味である。

さらに歩くと「皇族下乗」という看板が有る。
これは、ここまでは皇族の方は乗物でいいですけど、ここからは徒歩でお願いしますね、という意味である。

靖国神社に皇族が馬で乗り付ける、なんて事は、もはや有り得ない。我が家に皇族が来て茶を所望する事の方が、ずっと現実的に思えるくらいだ。…眞子内親王なら歓迎っすよ。

靖国神社には「皇族下乗」というファンタジーが必要なのだ。戦後、皇室との公的な関係の全てを絶たれた靖国神社には。そして、そのファンタジーを演出する為に「下乗」という一般人向け看板まであるのだ。

茶道流派の貴人点もおんなじだと思う。

茶道各流派は主に家元を通じ利休との繋がりを意識できる。そして足利将軍に至る流れに属する自分を感じる事ができる。しかし、皇族や公家へのラインは存在しない。だから、茶道には「貴人点て」というファンタジーが必要なのだ。そう思っている。