懈怠比丘不期明日

遅刻した清巌和尚が急用で不在の宗旦に宛てて茶室の腰張りに書いたとされる文。

今日庵』の名前の元となったエピソードとして有名なんだけど、気になる。

  1. 茶室の腰張りに書いたこの字、どうなっちゃったんだろう。そのまま残っている?なわきゃないか。腰張りの紙を剥せば軸に仕立てる事もできそうなもんだ。今日庵に掛けてあるこの文字の軸は時代違うみたいだし。
  2. 宗旦は急用で外出した、と伝えられるんだけど、いったいどんな急用があったんだ?そして清巌和尚はなんで遅刻したんだ?
  3. 茶室の腰張りに書いた、という事は、茶室内に入ったって事だ。清巌和尚を茶室に入れ、接待したのは誰だろう?茶室の腰張りに書く、という微妙な暴挙を黙認したのは誰なのだろう?

かっこいいが怪しいエピソードだ。こんな事実は無かった。あるいは出来レースみたく演出したお芝居だったんじゃないかなーと思っている。


あと清巌和尚。茶人には「遅刻した人」茶道具屋には「大量に墨蹟書き残した人」的な認識をされていて可哀想。