「ねぇ、戦国武将って、お茶なんかやってる暇あったの?」

おお、マイハニー、いい質問だ。

答えを先に言うと、実はすんごく暇だったのだ。

いつも合戦しているイメージの戦国大名だけど、実は年中やってるわけじゃない。

大抵の大名は百姓から戦闘員を募らなきゃならないので農閑期しか戦争できないし、兵糧を運ぶ都合で短期の戦いしかできない。特に城攻めは苦手。越後からわざわざ小田原までやってきた上杉謙信は一ヵ月の包囲で撤退している。

政治にしても、なにかを立案して指示したら、そのリアクションが帰って来るまでえらく掛かる。例えば、大閣検地。今なら消費税上げるかも!とか政策変更を口走っただけで世論のリアクションはすぐにやってくる。しかし、大閣検地は開始して8年も経ってから一揆が起きるし、完了に16年も掛かっている。

武士は所詮農本主義の権力者。物事は年単位でしか動かないのだ。なので鷹狩、能、猿楽、相撲見物、料理と時間潰しをしなきゃやってられなかった。

ちなみに歴史読本武家茶道の系譜に以下の記述がある。

林 それは当然でしょう。いまと違って時間が非常に長いんですから、何かやってなきゃとっても耐えられるもんじゃありません。

柳営の方がそう言ってんだからそうなんだろう。

江戸時代になっても大名は何日かに一回数時間の江戸城詰とかがあるけど、そんだけ。

ただし役人は別。井伊直弼あたりは陳情まみれの大老生活。毎日相当の激務なのに茶会を開いている。これはかなり異常なんだよね。

それより利休あたりがお茶やってる暇がある方が不思議。この時代でも商人は忙しい。商品廻さないとお金にならないんだから。大旦那として商売に関与しないなら別(平瀬露香みたいにね)だけど、親の墓さえ作れなかったトコから這いあがって来た新興の死の商人である利休なんて超忙しいと思うのだが。