俗人

茶湯一会集より:

「俗人の筆はたとえ侘びたりとも決して用ひず」

宗観居士の厳しい態度がうかがわれる。

では俗人ってなんだろう?


茶人は俗人だろうか?

大寄せなどで当代の家元の書や歌が掛かっている事がある。当代の家元は俗人か?かなり俗な気がするなぁ。

茶人の消息はどうだろう?利休は宗旦は剣仲は遠州は俗人か?茶聖とか言う場合あるけどまぁ俗人だよね。


茶人以外はどうか?

貫之の色紙を掛けるに、定家の歌切を掛けるに、彼らは趣味人に過ぎない。やっぱ俗だ。


僧侶は俗人か?

職業としての僧は聖だ。でも金地院崇伝を聖の方に置くのは無理っぽいので、職業だけでなく、人物も問題だろう。

歴史的に尊敬されている僧侶か、同時代に尊敬されている僧侶。

といっても歴史的に尊敬されていても、良寛は茶と相性悪すぎる。

現代に書かれた墨蹟のほとんどは、ぶっちゃけ金儲けの頼まれ大量生産物。うちにも大徳寺の坊さんのが一幅あるけど、やっつけ仕事です4649〜ってのが伝わってくる代物だ。金儲けで字を書くのは俗な僧侶だと思う。

とすると、つきあいのある名僧、とかに個人的に頼むしかないのだけれど、それだってなんかの打算があると思うので俗かもしれんな。うん、頼まれたから書いてあげる、よーでは俗だ。

ありゃ?「俗でない筆」がなくなってしまった。

ストイックに考えると、結構掛け物って難しいもんだ。

え?極端にストイックすぎ?いやいや、井伊直弼ならこれくらい極端に考えそうな気がするぜ。