わしの茶の湯

大徳寺管長 圓山傳衣。茶道全集其の二茶會作法篇。
大徳寺488世 全提要宗の明治の頃の思い出話。

牧宗和尚亭主であつたと思ふが、茶菓を饗した。尤も藝妓に運ばせる程度のものであつたが、皆膝に手を置きむづかしそうに默りこんだもので、其時馬越翁であつたか気轉をきかし、ゴロリと脚を投げ出し、片手でムシヤムシヤ菓子を喰ひ茶をのんだので、皆々ホツトして茶をのまれた事があつたそうである。
それから見ると、現在抹茶の發展は實に驚くべきであるが、まだまだ中年以上の紳士紳商等の中にも、茶は窮窟なものであるくらいに考へて居る人もある。

馬越翁はもちろん馬越化生の事。

緊張でコチコチになっている一同への化生のほぐしかたがイカス。

ただし、化生の様な有名数寄者と同席したが為に一座が緊張したのかもしれないので、責任取ったと言えなくもない。
そして化生が有名だったのでこのほぐしかたができたとも言える。この場に私が居て、同じ事をやっても「な…空気読めよ、化生さんの前だぞ」といった感じで、むしろ緊張感が増しそうだ。

しかし、戦前でも、お茶は堅苦しいもので、型を破るべき、と考えていた人が多いのに驚く。逆に言うと、明治大正はもっとフリーダムだったんだろうか?