伊勢流故実

茶道全集其の一、茶説茶史篇「茶の湯源流考」山根徳太郎 著 にて、伊勢貞丈の貞丈雑記が紹介されている。

伊勢家は東山殿時代の禮法の家なる間、東山殿の茶の湯の方式傳わるべしと、世間の人の云は推量違い也。
(中略)
是は茶坊主のするわざを御手づから時のたわぶれにし給ひし事にて、方式などを定められしにはあらず、されば我先祖伊勢守などうけ給りて、諸士に教へ指南する程の事にてはなかりし故に、茶の湯の法式と云事、家の舊書にはなき也。
今時數寄道と名づけて、ことごとく敷式法を立て、秘事口傳多く、大事の習事とする様に成たるは、東山殿よりはるか後、秀吉公の代、天正年中の比、千利休と云物の仕出したるを、又其後片桐石見守、小堀遠江守などいふ人、色々の事を付添て、各流儀を立て、遠州流、石州流などと云也。
大名などと人にいはるヽる者、わざと貧者のまねをして、いやしげにせばき庵を作て、數寄屋と名付、かけ茶碗のよごれてきたなげなるに、色々の古道具あつめ、客も亭主も無刀になりて茶を立て樂とする事、武士たる者のすべきなぐさみにあらず、あろかなる遊事也。

伊勢家は室町幕府から続く故実の家であり、伊勢貞丈故実の本を大量に記した大家でもある。その故実の大家の感覚で、自分の流儀に茶の湯を含めさせられるのには我慢がならなかったのだろう。


武野紹鴎茶の湯と生涯」矢部良明では、伊勢貞昌の中納言家久公江御成之記が紹介されている。

こちらは薩摩島津氏家老の伊勢貞昌が、島津屋敷への将軍御成に際し、「伊勢流故実でお迎えしてちょ…茶の湯アリアリで」と言われて「そんな故実ねぇ!」とぼやくお話。


伊勢家は現代でも礼法やっている信濃小笠原氏よりもずっと由緒正しい式正の家柄。江戸初期、武家故実の側では茶の湯なんぞは由緒正しくねぇ!と思っていた事が判る。傾聴すべき意見だと思う。

ま、それはそれとして。


…伊勢さんも結構怪しいんだよな。


平家と祖先を同じくする伊勢貞丈は、壇の浦で沈んだ筈の平家の伝来の刀、小烏丸を「なぜか」持っていた。小烏丸は最終的に刀マニアの明治天皇の手に渡り、今も皇室にある筈だ。この刀の由来真贋に関して世界でもいまだ議論がやまない謎の剣である。


薩摩伊勢氏は、本来有川氏。「有川は本来伊勢氏だから」とか言って、本能寺の変で断絶しかかっていた伊勢貞為に許可を得て伊勢氏になった、という怪しい人。ま、それを言うと伊勢貞丈の系譜だって相当怪しいっぽいのだが。


伊勢氏といい、小笠原氏といい、礼法の家はなんか怪しさが漂うよな。