草人木

茶道古典全集第三巻収録。

寛永3年(1626年)刊行の織部を偲ぶ茶書。例の「織部が有楽斎の客になって〜二人でねそべって茶呑んだ」の初出でも有る。いったい織部を偲びたいのかくさしたいのか?
不詳の作者がいろんな茶書を編集したもの、というのが茶道古典全集での説。

主君を持てミやつかへる人か、醫師か、旦那持の出家か、あるいは一僕にも及さる侘人か、如此のたくひ、もしをそくは
(中略)
あまりをそき故に、使をつかハしても、來さる返事をいふ共、腹立すへからす、

上司や患者や客のいる人、使いを出せない貧乏な人がドタキャンした場合でも、腹を立てるな、ということである。

貴人高位の御客の相手に參る人は、座敷のかさり物みる事せす共くるしからす。是は貴人の御膝の邊を通るましき故也。

偉い人が正客の時は床前行くの遠慮せぇよ、という事か。


茶の湯の常識」とか「古田織部 桃山文化を演出する」とかの書物では、草人木を織部の流れを汲む武家茶道の茶書として原典のように扱っているけど、どうも肯んじられん。あんまりにも優しさに欠けるんだもの。


織部のエピソードの中には、正客の織部に遠慮して少しずれた位置から床の花を拝見する針屋宗春を「それじゃちゃんとみえないっしょ」と叱りつける、というものもあるんだけどなー。

高橋箒庵「茶道讀本」より引用:

宗春御前を憚りての義たりと申しければ、古織それは尚以て非義なり、たとへ日本将軍の御前にても、御供に召連れらるゝ上は、御免を蒙る事なり、さやうの振舞は、慇懃の尾籠と云ふものなりと申されし由。

織部の茶風はこういう厳しい優しさであって欲しいなぁ。


去年、分類草人木、という別の書物の紹介をしている。

http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20080411

分類草人木の頃はふつーの客が墨跡に汁物の汁が掛からないように膳の置場を配慮する、というのを「貴人はしないでよい」という程度が貴人の特権だった。


分類草人木(1564年)から62年。草人木はずいぶんと世知辛い内容で読んでいて楽しくない。


室町の茶の方が、ずっと身分から自由だった感じがする。


江戸時代が来て、身分制が強まって、茶事も世俗から離れられない時代、というのが来ていたんだなと思う。