許状とか免状とか

お茶の世界には許状とか免状とかがある。


家元制の流派は大抵許状。
うちの流派は免状である。

運用ではおんなじ様なもんだけど、実は結構違うものなのだ。


免状は「あなたは何々の点前が出来てますよ」という事を証明する。
許状は「あなたはこれからは何々の点前をしてもいいですよ」という事を許可する。



最終の免状を貰った人は「あなたは何でもちゃんと出来る一人前よ」という事を保証されている。つまり免許皆伝、である。

しかし最終の許状を貰った人だからといって「あなたは何でもちゃんと出来ますよ」という事は保証されていない。

大円真をやっていいですよ、という事を言われているからと言って、茶通箱が完璧にできますよ、なんて事は保証されてはいないのだ。建前上は。


ぶっちゃけ完全宗伝の免状制では免許皆伝されたあとは新流派作り放題なのだ。
これは剣の歴史を見りゃ簡単に判る。

しかし許状では「いや、あいつにゃ確かに台子やってイイって言ったし、教えたケド、あいつトータルではちゃんと出来る奴じゃないから。半人前だから」と家元が言えばオシマイなのだ。

許状、という仕組みを考えた人は頭良いなーと思う。