五月雨は、旧暦五月の雨。つまり梅雨の事である。

五月晴れは、旧暦五月の晴れ。つまり梅雨の合間の晴れの事である。そもそも新暦五月は晴れててもなーんもおかしくは無いので、わざわざいうほどのものではない。

「夏越の祓」は旧暦の六月三十日に行う儀式である。今年は閏月もあって新暦八月十九日。本来もっと暑い時期の行事。でなきゃ水無月、なんて氷にちなんだ菓子は意味が無いのだ。


行事に於ける、旧暦と新暦というのは茶杓の銘などを考える時に、なんとも悩ましい。


五月雨、という銘の茶杓は、五月の茶杓の銘か?六月の茶杓の銘か?八月に夏越の祓という銘を茶杓につけて理解が得られるか?


こういう時、三つの考え方が有ると思う。


1.あくまでも旧暦で考える。
2.やっぱ新暦で考える。
3.旧暦を月単位で粗く換算する。


例えば。「虎が雨」は旧暦五月二十八日に降る雨の事である。今年は新暦七月二十日に該当する。

1.の場合、新暦七月二十日の茶杓の銘とする。

季節感的にはもっとも適するが、毎年新暦換算する必要がある。
みんながそれをしてくんないと、コンセンサスが得られない。


2.の場合、新暦五月二十八日の茶杓の銘とする。

換算の必要が無いので覚えるのが楽である。大抵の神社で「夏越の祓」を新暦六月三十日に実施しているのは、このパターンである。季節感的にはいただけない。


3.の場合、新暦六月二十八日の茶杓の銘とする。

閏月の有無とか無視して大体一カ月後の同じ日にする、という処理である。
利休忌はこのパターンじゃないかな。


ほとんどの場合、2の処理が行われている気がする。個人的には1の処置がいいよな、と思うが、コンセンサスが得られまい。


1/2/3のどの処理で対応するかは、ケースバイケースでどの処理が一番コンセンサスを得てるかが決めるのが一般的だろう。


で、私は初心者なので、茶杓の銘を言う時に、それがコンセンサスが得られている物かどうか、という点でまま失敗してしまうのですな。ケースバイケース、というものはそういうものなので仕方ないですけれども。


この春(冬?)、沖縄をドライブしながらラジオを掛けていた。

ラジオのDJとアシスタントが「いやー、やっぱカレンダーは旧暦がついてる奴じゃないとネ」という話で盛り上がっていた。そう、沖縄は旧暦ベースでいろんなイベントのある地域なのだ。

こういう旧暦の生きている場所の方が、お茶はやりやすい気がする。…あの季節感はちょっとつらいものがあったりはしますけど。

茶人たるもの旧暦をいつも把握しておく、というコンセンサスは得られないものか。
たかだか宝くじ買うのに「大安だ」とか把握している人がいるんだから、無理じゃないと思うんだけどな。