茶人徒然草 その1

作者不明/河原書店/1936年。

つれづれなるまヽに日ぐらし茶の湯にむかひて、よしなし道具をそこはかとなくかきあつむれば、あやしうこそ物ぐるをしけれ。

で、はじまるパロディ随筆。

原著は天保年間、如心斎門人の作と推測される。近世文芸叢書にも載っているらしい。

前半の中身は、なんかゴシップとか。

藪の内はをのれをつヾまやかにし、をごりをしりぞけるといヽたてヽ、道具を持たず、世をむさぼりてかた意地なり。昔よりよき茶人に藪の内にはなきなり。

藪内に関するゴシップ。

藪内のイメージは「かた意地」か。竹心のせいだよなぁ。絶対。あと、著者若干道具茶の視点かもしんない。

武者小路、というより中村宗哲に関するゴシップ。

武者小路に宗哲僧都とてやんごとなき茶人ありけり。さねがしらといふものをこのみて、若きときより多く喰らひけり。不断の茶席にも膝元に置てくひけり。

さねがしら、が何かはよくわかんなかったが。

ま、こーゆーのがいろいろ。

んで、道具に関する美辞麗句も。

皐月ならで眞熊川の土を見せたる枇杷の色に白露のごとき藥きらめき、河澗道の上品なる薄墨色の及ぶ所にあらず。

江戸後期の文化の爛熟っぷりがなんか伝わって来るぜ?っていうか、さすがにちょっとアホっぽくない?って感じもします。

しかし、こんな「どーだろーなー」的な本が、後半がらりと様相を変えます。後半は明日のエントリで。