翻刻
前に書いた古文書の件。
杓の通釜のふた圍炉裏縁にかからぬ程に置くべし。
みたいな事が書いてあって、江戸時代の人もこういうの読みながらお点前してたのかな、と思うと感慨深い。
なんか、段々、くずし字を読むのに慣れて来て、ペースも上がって来た感じ。
字のうまい下手あって、下手な人の字は解読がそれなりに大変なんだけど、それでも解読できない、という事はない。
くずした字で書く人がいて、そのくずした字を読む人がいて、書く方は読む方の為に、下手なら下手なりに判るように書いているからだと思う。
例えば、ひらがなの“か”と“の”の様にくずし字でグリフ的に似ているものは結構ある。でも、判る。
書く側もどっちなのか判る様に崩しているからだと思う。
んで。
現代の茶道具に付いているくずし字を読んでみた。
全然解読できない。判るように崩されていない。
変な部首になっていて全然辞書で引けなかったりもする。
読ませる事を考えていない、くずし字っぽいナニカ。
多分、くずし字でコミニュケーションした事のない人が適当に崩したからだと思う。