茶道と十字架

増淵宗一/角川書店/1996年。

カトリックにはミサっていう儀式がある。

血塗れのほぼマッパのおっさんが中央に吊されている空間で、そのおっさんの血と肉にみたてた食物をみんなで頂く、という謎儀式。…なんか邪教っぽくね?金の牛像とかあがめてるのとどうレベルが違うのか私にはよくわからん。


さて、茶道のセレモニアルな部分ってのはそのキリスト教カトリックのミサの影響を受けたんではないか?という説がある。その辺の話についての本。


まず前半は、利休を中心とした人々の中にクリスチャンがどれだけいたか、という考証。
イエズス会書簡を中心に考証しているが、ま、結果的には通俗的に判っている範囲の結論。「意外な人がクリスチャンだった!」なんてことはない。


後半は茶道儀式とキリスト教儀式のお話。


キリスト教儀式に於けるぶどう酒の呑み回しに関する説明。
濃茶の吸い茶に関する詳細な説明。

しかし廻し呑み文化について語るなら、ネイティブアメリカンと煙草について語る切口の方が説得力ありそうな気がする。


あと、大抵、茶道キリスト教影響説の中では帛紗の畳み方がミサの影響を受けている、という話だが、この本のおかげで詳細が判った。

ミサではプリフィカトリウムという布で帰ってきた杯を拭うが、茶道では茶巾で拭う。このプリフィカトリウムと茶巾との畳み方が似ている、という話だったんだね。
帛紗じゃなくて茶巾やん。

しかも裏千家の畳み方なら似てるかもしれんけど、他流派には関係ないし、吸茶がキリスト教の影響の初めであれば、茶巾はそれより前から使われて来たので、「器を拭う小さい布がおんなじ様な大きさで似たような畳み方になっただけ」という方が正しそうだ。


さて、前の方で「その辺の話についての本」とか書いたのには理由がある。

この人、最終的にキリスト教儀式がどの程度茶道に影響を与えたのかに関し、なんら結論を提示してくれてないんだよね。

長々読ませておいて、オチなしって酷いよ。


ちなみに私は、茶道にキリスト教の影響はないし、根源のところで禅宗の影響もなかったと考えております。

茶道と十字架 (角川選書)

茶道と十字架 (角川選書)