湯桶
古本屋に行くと、タイトルだけでなんか買いたくなる本がある。
「鮭 旅立ちから味覚まで」
これは耐えきれず買ってしまった。
「大砲から大鵬まで」
これは我慢している。
「風呂と湯のこぼれ話」
これも我慢組。
…んで、風呂で思い出したのだが、漢字の読みで、湯桶読み、というのがある。
実は私、子供の頃からずーっとこの湯桶を風呂桶の事だと思っていた。でも茶をやる様になってようやっと茶道具のアレである事を知った。
湯桶って蕎麦屋か茶事にしか出番のないグッズじゃん。そんなのがどうして訓音読みの代表なんだろう。甘食読み、とかの方が親しみ持てるだろうに。
逆にいうと、湯桶読み、という言葉が出来た頃は湯桶は非常に親しみのあるものだったって事だろうか?
蕎麦屋のアレは「蕎麦湯」であって「湯桶」じゃないよなぁ、という気がするので、湯桶は茶道具としてのソレを指すんじゃないかと思うんだよね。
昔はもっとお茶が身近だったという傍証ではなかろうか。