今日不審
宗旦は、山田宗偏に今日庵と不審庵を譲ったと言う。
表千家のホームページより:
裏千家のホームページより:
宗旦は、末子の宗室(1622〜1697)が20歳を越える頃、自分の茶を譲ろうと考え、ついに不審菴を三男宗左に任せ、自分は末子の宗室と共に、同邸内に茶室を建てて移り住みました。
取り合えず、1640年代に宗旦は、建物としての今日庵と不審庵を息子二人に譲った筈だ。
宗旦が、山田宗偏に今日庵と不審庵を譲ったと言うのは吉田藩仕官の際らしいので、明暦元年(1655年)という事になる。
物理的な庵は息子に渡し、随分経ってから庵号だけ弟子に譲った、ということなんだろうか?
少なくとも自分が住んでいない今日庵の号は江岑宗左のものじゃないかなー。
こういう宗旦の考えは全く理解できない。宗旦文書を読む限り「所有」、という概念に関しひどくいい加減な人物だったんじゃないかという印象はあるので、まぁ不思議はないんですけど。