新修 茶道妙境 愈好斎の世界

千宗守(愈好斎)/創元社/1979年。

昭和十五年発行の茶道妙境の再録+α。


茶道妙境の部分はまーいいや。その+αとしてついている有隣斎の語る話の方がずーーっと興味深い。


有隣斎は昭和十三年に大学院に入る時に、指導教官にお茶を勧められたらしい。

ちょうど君たちのクラスメートに堀内他次郎(今の堀内宗完宗匠の令兄)君がいるのを御縁に、あちらのお父様の所にお茶の稽古に行きなさい。


愈好斎は久田家出身で表千家習ってた訳ですが、有隣斎は堀内家の門人で表千家習ってた人だったんですな。

有隣斎が愈好斎の婿養子になったのは昭和十六年。有隣斎は武者小路千家門人出身かと思っていたけど、表千家/堀内家からの斡旋だったのかもしれませんな。


その愈好斎の教育方針は「悪いトコ指摘せず睨み続ける派」だったとかで、人によっては「文句言われないからうまくできているんだろう」と思い込んでしまう弊害があったとか。

口はばったい言い方ですが、父の時に水屋修行をした人で、父の茶風を本当に理解し得た人はないようです。

…かなりの過激な発言でございます。

その時代の武者小路門人で勝手に商売やって流儀の邪魔になってすらいる人が居る、とまで書いています。

当の相手は何にも言われなかったから、それでいいんだと思って増長し、いまもその癖が直らぬばかりか、その者の子供にまでその癖が移っております。

…ものすごい過激な発言でございます。

じゃぁなぜ愈好斎はそういう教育方針だったかというと、愈好斎が学んだ木津宗泉の影響だとか。

この木津宗泉は大変口やかましく弟子たちを叱りつける人で、師匠のほうは親切で言っているのに、言われるほうはうるさがって敬遠する傾向があり、それを見ていた父が、自分はああいうふうにはやるまいと思ったのだと晩年に聞かされました。

…。

こういう本って、基本、自流派の門人が主要読者じゃないですか。

流派の家元が、先代家元の門人やら有力宗匠家に関して、こんなざっくばらんに書いていいもんかいな、とかめちゃめちゃ心配になります。


23区では大田図書館。

新修茶道妙境―愈好斎の世界 (1979年)

新修茶道妙境―愈好斎の世界 (1979年)