井口海仙著作選集 第一巻

井口海仙/淡交社/1992年。タイトル通りの本。

裏千家の歴代:

宗旦の父は、「茶人系譜」や多くの茶書に、利休の後妻宗恩の子となっているが、私は利休の実子道安の子であると思う。
しかし遺憾ながら、それを立証する資料が、ほとんどのこっておらず、わずかに「茶祖的伝」「茶道雑話」に
「道安の実子」と書かれている程度で、あるいは反対説がよせられるかも知れないが、私は左の諸点から、宗旦が、道安の実子であるということを主張したいのである。

…いきなり来ましたね。

私は少庵の実子説以外考えた事もなかったけど、この文の書かれた昭和39年頃、裏千家でこういう説を立てていたんだなぁ。

ちなみに上記「左の諸点」は以下の様な推理。

  1. 宝心妙樹が死んだのは聚光院の過去帳によると天正9年
  2. すると宗恩が利休の後妻になったのは、天正10年頃か
  3. 宗旦が生まれたのは天正5年

…利休が孫のいる女性を後妻に迎えるだろうか?という疑問かららしい。

考えなかった視点だなぁ。

通説では利休と宗恩は夫婦。利休の娘亀と宗恩の息子少庵は夫婦。

確かに感覚的に言って、「子供達も結婚したし、妻も死んだから、やもめ同士わしらも結婚するか」というのはあまりありそうもない感覚だ。

むしろ「わしらも結婚した以上、お前の連れ子も我が一族に加えたいので、子供同士も結婚させようか」という婚姻なら理解できる。

でも、それだと、利休の結婚後にしか少庵は結婚できないので、宗旦が亀の子で無くなってしまう、という問題がある。

ちなみにもう少し最近の書物、“千利休とその周辺”杉本捷雄、によると、宝心妙樹が死んだのは天正5年なので、その辺のややこしい話はない模様。

井口海仙がこの文を書いた時に、宝心妙樹の没年に関する資料が不足していたんだな、と思うと同時に、「なにがなんでも俺の先祖は利休と血が繋がっていなくてはならぬ!」という強迫観念めいたものも感じる。