三つの異つた問題
小林一三の“雅俗三昧”。
「三つの異つた問題」で読者からの意見紹介、という形で以下のような意見を開陳している。
逸翁は抹茶は誰れでも喜んで飲むうまいものだと思つてゐるやうだが、私はさうは思はない。
おいしいお菓子があるから一碗飲んでもよい、といふ程度のお茶人が、百人の中七十人迄はあるので、全體、抹茶を紅茶珈琲と同一に、おいしい飲みものだ思つてゐる人は無いと信じてある。
これを読んでかなり「うーーーん」と考えさせられた。
私は珈琲の味覚に関し、これはうまい/これはまずい、っていうのをある程度絶対的に評価できていると思う。
紅茶も多分、できている。
でも抹茶はどうだろう。
「おいしいお茶を」とか考えてお茶を点てる練習もしたけど、冷静に考えて、自分の点てたお茶の中で「なかなかおいしいお茶が点ったな」というレベルのものってほんとうにおいしかったのだろうか?
もしかすると「まずくない」「つらくない」ぐらいのレベルだったかもしれない。
…抹茶のうまさの絶対評価、というのが自分の中にまだ無いような気がする。だから、相対評価になっていて、「この前のよりマシ」「昨日よりまずい」程度の自信の無い基準でしか評価できていない気がする。
「おいしいお茶を呑んでいただく」という目的を成し遂げるにあたって、「このお茶はおいしい」、という事を自信を持って言える様になるにはどうすればいいか。正直見当もつかないや。