趣向

小林一三の“雅俗三昧”を読んでいて茶人逸翁が意外にヨワムチなのに気付く。

こちらの弦月庵へは箒庵さんは來られたが、益田さんや原さんを呼ぶ勇氣がなかつたし、自分の考への陣容も充實してゐなかつたので、二度目三度目にもお招きしなかつたところが、益田さんから、きびしい催促で東京で「茶を出して居られるさうなが僕を呼ばないのか」と申込みあつて恐縮したが、自分の心持がピタリと來ないといふひけ目があるので、どうしても來て頂くという勇氣が出なかつた。

なんと逸翁は、鈍翁も三渓も自分の茶事に呼ばずじまいだったのだそうだ。…これはちょっと意外だったなぁ。

まぁ逸翁が語る鈍翁のエピソードも以下の様なものなので、おじける気持ちはわからんでもないけれど。

それは三井物産の某重役が茶道に志し一そろひ新舊取りまぜた道具で大先輩である斯界の元老益田鈍翁をお正客としてお招きしたところ、非常に喜ばれて
(中略)
鈍翁の賞贊辭に新茶人とても嬉しくてたまらない。再び趣向を凝らして御入來を申出たところ「あのお茶は一度でよいので、二度私をよぶのは無理ではないか」と苦笑したといふ話であるが

ただ、趣向が客から見切られてしまうような鈍翁の茶のあり方を逸翁は否定してはいないんだよなぁ。

正直逸翁のいう新茶道というのがどういうものなのかよーわからなくなる。