不白の跡を探ねて

浅田晃彦/自費出版/1979年。

川上不白の伝記。この本、作者の調査に基づいた推測がめちゃめちゃ面白い。


実は武士の川上不白
彼が若くして表千家に弟子入りした経緯には謎が多い。

私は紀州新宮藩士として、藩の支援で茶道を習いに行った、というイメージ(しかもその後藩に還元しなかった)だったのだが、作者によると全然違う。


新宮藩紀州藩家老で独立大名でなく、茶への理解も低かった。
不白が紀州商人のツテで江戸の商家の養子になる。養子の教養として俳諧に貴志沾州に入門。
沾州は水間沾徳の弟子だが兄弟弟子に堀内仙鶴がおり、彼が先に表千家に入門していたので、そのつてをたどり、茶の師匠で身を立てる計画を立てたのではないか、という説を立てている。

確かにその方がありそうな話だ。


江戸で千家を開いたのも、一般的なイメージでは如心斎の命によるもの。
江戸で大成したが、如心斎の死後、卒*1啄斎の養育に京へ戻り、その成長を確かめて江戸に戻った。

そういう印象じゃない?


しかし作者の説は違う。

京周辺に弟子を抱えた不白が江戸へ向かったのは師命ではない。表千家が不白になんらかの支援をした形跡もない、と断じている。

如心斎の死後、卒啄斎の養育に京に戻ったが、この時期まだ江戸ではあんまり弟子が得られておらず、不白の生活基盤はまだ実際には京都の弟子を中心にしていた。んで、不白が京を去り江戸で大成したのは卒啄斎の養育が済んでからの事である。


エネルギッシュに過ぎる不白は如心斎に気に入られすぎ、卒啄斎の養育にも出張りすぎ、他の弟子達から「千家乗っ取り?」と思われていたのではなかろうか、という説の様だ。


不白筆記からの引用いろいろとか、如心斎からの真台子伝授に七十三両掛かった、とか、面白話も入っているので、かなり楽しめた。お勧めです…なんだけど自費出版なんで入手がなー。23区の図書館にもないし…。

*1:本当は 口+卒