銅羅はなぜ蹲って聞く物となったか

burieさんのコメントに、コメントでお返事しようと思ったが、あんまりにも長くなったので改めて記事として。


まず、鳴り物の聞き方に関し、手持ちの本の幾つかを引用します。

"茶の湯作法"、昭和3年、亀山宗月(裏千家)

客方に置きましても、この銅羅を打たれました場合は、腰掛より離れ、亭主迎ひ附けの時と同様に緊張いたしまして聴くのでございます。

"趣味の茶道"、昭和5年、岡部香塢(不白流?)

そこで客は此合圖を聞いて圓座は元の如くに致し上客から蹲踞に至り手水を遣ひ

"茶の湯作法"、昭和12年、富貴庵旭亭(表千家?)

かくして待合して居るうちに後座入の相圖が鳴りますと、客皆起立して之れを聴きます。

"茶道"、昭和16年。竹内撫石庵(流儀不明)

この合圖を聴けば、客は前席の順序に従つて、茶室へ歸つてくる。

はい、ここまで蹲って拝聴する客作法は一つもありません。立ち上がったりはしますけど。ところが:


"裏千家茶の湯"、昭和37年、鈴木宗保(めっさ裏千家)

どらの音が聞こえたら、正客以下連客も腰掛をおりて、姿を正してしゃがみ、静かにこれを聞きます。

鳴り物を蹲って拝聴するのはどうも戦後の話なのではないか。つーか、ベストセラー"裏千家茶の湯"のおかげでめちゃめちゃ広まったのではないか、とも思う。


ま、蹲るかどうかは別として、鳴り物を聞く時に姿勢をあらたにする理由は、鳴り物を尊重する、という様な素敵話ではないんじゃなかろうか、と思う。

中立では下腹雪隠を使ったり煙草吸ったりして気が緩む。雑談とかもするだろう。そんな客達のゆるんだ身も心もひきしめ直す、という現実的な意味があるんでなかろうか、と思うんだが、どうだろう?