くらいところでたべんのか

我が家のリビングは、普段は暗めの中間照明である。だって80年代育ちだもん。

ただ、その暗い中で飯を食う、という行為に関し、妻は非常に嫌なのだという。

色味もなんもなくどす暗い食品を食うのは嫌/食品の色が見えないと味も灰色になる、という感覚は確かに判らんでもない。

だから、飯の時は照明を明るくする。


考えてみると茶事の時、中立までは暗くして、中立後は明るくするんではなかったっけ?
てことは懐石を頂く時は暗い中で食べる事になる?

まぁ茶室によって違うとは思うけど。


茶事の懐石は、いわゆる和食として考えられる華やか世界ではなく、禅の普茶の世界に近い。

そういえば茶道全集懐石編の“懐石の調味と調理”にて木津宗泉もこう書いている。

往々栗を菊の葉に切り、菜果で魚鳥に似せるやうな料理をなすものがあるが、これを切目正しからぬ愚劣な料理とされてゐる。
切目正しきは本來の形を失はず尋常なことを指すのである。

つまり飾り切りすらも諌めている。

飾り切りは、切った残りがどうしてもゴミになりがちなので、普茶/謝茶の料理としてはそぐわないよな。


結局、茶事の懐石は禅門のドドメ色の世界だから「視覚からもよりうまく」みたいな事は不要、だから暗い中でもそもそ食って、それでヨシ、ということなんじゃろうな。