利休百首談義
土肥宏全/自費出版/1968年。
昔、「利休百首の研究書はみたことがない」みたいな事を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20071230
あった。それがこの本、利休百首談義である。
どの辺が研究か、というと百首扇版と、青木宗鳳著の宗鳳本の比較研究をしている所である。
百首扇
手前こそ薄茶にあれと聞くものを麁相になせる人はあやまり
宗鳳本
手前こそ薄茶にあれと聞くものを麁相に思ふ人はあやまり刊行されている百首扇にこうした誤写、又は故意に改めた箇所があるのは残念である。
なんてな感じでいろいろ書いてある。
これなんて意味的にはさほど違わないのですが:
百首扇
よそにては茶を汲みてのち茶杓にて茶碗のふちを心して打て
宗鳳本
余所などで茶を入れて後茶杓にて茶碗のふちを打たぬものなり
これなんて意味全然違う。
もっとも著者はこの句に関しては「宗鳳本は、或は茶を払わぬものと誤解され易い」と書いているので、やっぱ打つは打つ、という解釈みたいだ。
こういう解釈以外にも、表千家と石州流の道具正面の違いとか、いろいろ蘊蓄もあって面白い。