朝鮮茶碗と私

森田統/昭和堂/1983年。

高麗物の写しを作っている森田十雨氏の、熱い本。

温泉町の陶芸家であった筆者が出世したのは、湯治に来たコカコーラ社長、高梨氏との出会いだったらしい。
そして蓑半農軒や、林屋晴三等と出会っていく…が、そういう人との交流はあんまり書かれない。延々、高麗茶碗への熱い思いが綴られるのだ。ときおり、俺はこんな凄いのにどうして茶碗が売れないんだろう…みたいな事が書いてあったりもするが。

それはさておき。

そういう数少ない人と人のエピソードが、柿の蔕茶碗についての項目にある。

著者、伊羅保は大好きだったが柿の蔕は大嫌いだったらしい。だがそれに情熱を注ぐ様になったのは、蓑氏に強く勧められたから。こんな感じで:

私は柿の蔕という茶碗は好きでなかったから、ちょっと待って下さい、私は柿の蔕は好きでありませんから、といいかけたところ、蓑さんにも、高梨さんにも、異口同音、黙って聞きなさい、と叱られた。
私はどうしても聞かなければならない羽目になったが、なんとかして、柿の蔕を分からせてやろうという蓑さんの思いやりがひしひしと感じられ、とうとう私は話に引き込まれ、三時間もの間無言で聞くばかりであった。

うむ、暑苦しい良いエピソードである。


高麗茶碗の釉の掛け方とか、柿の蔕は形による命名でなく土色によるものであろう、とか、各高麗茶碗の茶会記への出現時期とか、箱書きからたどれる輸入時期とか、本当に注文物は可能だったのか?とかの様々な研究。

ろくろをわざとガタガタにしてみたりといった実験。

石はぜに関し、なんで石の入った土なんて使ったんだろうという疑問。

技術論がいろいろ入っているので収穫多し。読みごたえがある内容であった。

朝鮮茶碗と私 (1983年)

朝鮮茶碗と私 (1983年)

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