足袋

今はどうか知らないが、裏千家の業躰は冬でも素足だったそうである。理由は良く分からない。修行中の身だからなの?吉原の花魁も年期が明けるまでは素足だったらしいが関係あるんだろうか?

それはさておき。

山田宗偏の茶道便蒙鈔(1680年頃)に以下の様にある。

風爐にて御茶可申とある時ハ時節不相應なりとも足袋をはかすして參へし風爐とも不知參たる時ハ廬地に入雪隠の戸あけ置たらは風爐の茶の湯と心得て腰掛にて足袋をぬぎ入へし。

昔は風炉は素足で炉は足袋という客の服装の区別があった様だ。


明治以降の茶書には、客作法に関しこういうルールはなく、むしろ「替え足袋持参の事」という風に書いてある。

だから、おそらく江戸時代のどこかで「茶の湯はいつでも白足袋」という常識の変化があったと思うのだ。

「いつ」「どこで」「だれが」はともかく、「なぜ」は知りたいのだが、良く分からない。

茶室構造に変化でもあって、夏でも涼しく過ごせるようになった、とかだろうか?それとも、和服では夏冬関係なく足袋、という常識が茶道の外っかわで成立したのだろうか?

そもそも着物の側の常識の変遷が良くわからんのが悪いので、知っている人には自明の事なのかもしんない。